8月5日(水)正午まで データ版:3900円/CD版8100円
「エドヴァルド・ムンク」「ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ」
――自信がないと言える自信を持とう。
「恋はデジャ・ブ」「フランケンシュタイン」「千夜一夜物語」
――人のためにすると、幸運が来る。
※「備考欄」で、ご希望をお知らせください。
(300円分のポイントバック付き)
和歌と俳句。知っているものは、いくつもあるかと思います。
でも、それを味わえているかということになると、どうでしょうか。
春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
有名な持統天皇の歌です。夏到来の驚きを歌っているとされていますが、
中谷さんは「神様の山に、洗濯物を干していいの?」と問いかけます。
「持統天皇は天智天皇の娘で天武天皇の奥さん。
波乱万丈の人生を送っていて、根性がある。
新古今集は、幻想や妄想をベースにしている。この歌も――」
から始まる中谷さんの謎解きには、とても驚かされました。
なれ親しんだ和歌や俳句の背景に広がる世界と奥行き。
和歌と俳句を味わう教養、中谷さんから教わりました。
★こんな方にお奨めです♪
□和歌を味わえるようになりたい方。
□王朝貴族の恋愛を理解したい方。
□俳句を味わえるようになりたい方。
ゲスト:奈良巧さん(編集者)
「日本の芸術の本質は、和歌。西洋は、詩。
中国からの漢詩を元にして、日本に和歌が生まれた。
殿上人と地下人の違いは、和歌がわかるかどうか。」と中谷さん。
春すぎて 夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山
田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にそ 富士の高嶺に雪は降りける
人生経験を積んだ今だからこそ、和歌の味わいが深まりますね。
「万葉集、古今集、新古今和歌集――これが三大和歌集。
万葉集は奈良時代。『ますらおぶり』が歌われた。男らしさがベース。
平安時代の古今集は『たおやめぶり』。女らしさ。」と中谷さん。
「ますらおぶり」は、素朴さ、ひねり無用のストレートさ、
「たおやめぶり」は、繊細さと優美さが身上です。
時代によって、気分がずいぶん違うのですね。
和歌を味わうためには、時代背景を勉強しましょう。
「万葉集は『愛』を、古今集は『恋』を歌った。
愛とは、普遍的な感情。得た充足感。片思いでもいい。
恋は満たされていない想い。切ない片思い。」と中谷さん。
なるほど、こういう分類は、はじめて聞きました。
たしかに、人類愛という言葉はあっても、人類恋はありません。
親子愛はあっても、親子恋もありませんね。
愛と恋の違いを踏まえることが、和歌を味わう第一歩なのですね。
「新古今和歌集は、幻想、妄想の和歌。『映え』重視。
『巨人の星』でたとえるなら、万葉集は160キロの剛速球。
古今集は、大リーグボール1号。速いけど、軽い変化球。
見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮
藤原定家の歌は、まさに幻想、妄想の世界。
『なかりけり』というように、まさに、消える魔球。」
絶妙なたとえがあると、鑑賞力がグンと上がりますね。
「古今集」は、醍醐天皇の命によって編まれた勅撰和歌集。
古今集に始まり、後撰集、拾遺集、後拾遺集、金葉集、詞花集
――と534年の間に21もの勅撰集が編纂されました。
古今集の選者といえば紀貫之。下級貴族でした。
「自分の歌を採用して欲しいと、いろんな貴族からクレームが来る。
叩き上げの紀貫之は、気が使える。『パート2で入れますから』
と対応するうちに、パート21まで行ってしまった。」と中谷さん。
いつの時代も、宮仕えはたいへんなものですね。
王朝貴族の「仕事」といえば恋愛。これには25段階あったそうです。
1番め、噂を聞いて好きになる。2番め、垣間見て盛り上がる。
3番め、後ろ姿に募る恋心。4、何も手が付かない。忘れよう。
5、夢で逢いたい。6、恋人がいるらしい。
7、そりゃそうだよ。いないほうがおかしい。ますます高ぶる。
8、どうしたら思いを知ってもらえるだろうか。9、会えた!
――と延々25まで続きます。
これだけ小刻みにすれば、心情に敏感にならざるを得ませんね。
正岡子規と夏目漱石は、東大予備門の同級生。親友同士でした。
鐘つけば銀杏ちるなり建長寺
この漱石の句について、子規は思うところがあったようです。
「「鐘つけば」は説明。因果関係が明確なのは、イケていない。
『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』は、漱石へのアンサリングソング。」
ちなみに、ここでいう「鐘」とは東大寺の鐘なのだそうです。
奈良の宿で給仕してくれた16歳の仲居さんを想っての一句とのこと。
「柿食えば」の句は、正岡子規の恋の歌だったのですね。
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月ナカ生活 コーディネーター・曽我清美
「絶対借りないでしょ、このタイトル」と中谷さん。
「この話はね、ちょっとたいへんなんですよ。やられましたねえ。」
中谷さんがご紹介するのは、映画「この世界の片隅に」。
わたしも前もって観ましたが、とても感動しました。
でも、その「感動」も、中谷さんのお話を伺ってしまうと、
ひじょうに浅いものだったのだと思い知らされました。
「気に入った映画は、原作を読む。そして何回も観る。」と中谷さん。
わたしも2回めの鑑賞を前に、まずは、原作を読んでみました。
あの場面は、こういうことだったのか――そんな発見の連続。
映画「この世界の片隅に」の味わい方、中谷さんから教わりました。
★こんな方にお奨めです♪
□映画「この世界の片隅に」をご覧になった方。
□映画「この世界の片隅に」を観たいと思った方。
□絶望の中の純愛を味わいたい方。
ゲスト:奈良巧さん(編集者)
中谷さんの映画指南で再三言われるのが、冒頭のシーンの大切さ。
「The NET 網に囚われた男」でも、「テキサスの五人の仲間」でも、
タイトルバックや冒頭のシーンに、物語を味わう鍵がありました。
「冒頭のシーンを、すごく観る。ここで、じっくり観るか見極める。」
飲み物の支度をしたりと、冒頭は流し見することが多かったので反省…
始まりから集中することが、映画に対する礼儀なのですね。
10銭のチョコレートか、それとも5銭のキャラメルか。
迷う主人公のすず。このシーンも大事な伏線でした。
広島の街。産業奨励館の堂々たる建築。このシーンも伏線。
「片淵監督は、めちゃくちゃ調べている人。
いろいろなところに、伏線を仕込んでいる。」と中谷さん。
中谷さんの映画鑑賞法の一つに「何度も観る」がありますが、
こんな「伏線」を味わうためなのですね。
誹謗中傷、バッシング、批判と炎上……
「悪」をつくることよって、自分の正しさを確認する。
そんな人が増えてきているような気がします。
「悪をつくらないのが、やさしさ。」と中谷さん。
自分を誘拐した「人さらい」にすら情けをかける少年。
彼の「やさしさ」が、この物語の基調になっています。
「悪」は、その人の心のありかた次第なのですね。
北條家に嫁いだすず。周作さんとの祝言を終えて――
「傘持ってきたかの?」「はい」
「さしてもええかの?」「はい」
このやりとりは、初夜の決り文句なのだそうです。
「本当に持ってきた傘で吊るし柿をとって、二人で食べる。
説明はない。こういうシーンに、ホッとする。」と中谷さん。
「説明」がないほうが、情感は深まるのですね。
「戦争をあつかった映画なのに、明るいシーンが多い。
だから、逆に、切なさがにじみ出る。」と中谷さん。
「うちは、よう、ぼうっとした子じゃあ言われとって」と主人公のすず。
切符売り切れで、電車に乗れずに舞い戻るすず。
貴重な砂糖を誤って、水瓶に落としてうろたえるすず。
呉港をスケッチしていたら、憲兵から取り調べを受けるすず。
彼女をめぐるユーモアが「戦争」の本質をあぶり出しています。
「うちは大人になるらしい」18歳で請われるまま、お見合いしたすず。
「困ったね~。嫌なら断わりゃええ言われても、
嫌かどうかも分からん人じゃったね~」と、よくわからないまま結婚。
最初は、なれない土地で、ハゲができるほどの気苦労を重ねたすず。
でも、「しみじみニヤニヤしとるんじゃ!」と幸せを実感するように。
「結婚してから、恋愛が始まる。」と中谷さん。
周作「すずさん、あんたを選んだんは、たぶんわしにとって最良の選択じゃ」
すず「周作さん、ありがとう。この世界の片隅に、うちを見つけてくれて。
ほんでも離れんで、ずっとそばにおって下さい」
結婚は、ゴールインではなく、スタートラインにつくことだったのですね。
水原「お前だけは、最後までこの世界で普通で、まともでおってくれ」
リン「誰でも、この世界でそうそう居場所はのうなりゃせんのよ」
径子「すずさんの居場所はここでもええし、どこでもええ」
婚家の中に「居場所」を見つけられない嫁。
戦争で焼け出されて「居場所」を失った被災地の人びと。
戦争が終わった、ある夕暮れ。街灯が灯り、家々からは炊煙が上がる。
空には星が瞬く。「普通」とは「居場所」のある日常だったのですね。
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月ナカ生活 コーディネーター・曽我清美