4月4日(水)正午まで データ版:3900円/CD版8100円
「ピカソ・モジリアニ・マティス」
――いい女は、天才を愛する。
「モンパルナスの灯」
――一人の励ましが、天才を育てる。
※「備考欄」で、ご希望をお知らせください。
(300円分のポイントバック付き)
今号から、「仕事の月ナカ」は「教養の月ナカ」に衣替え。
今回は芸術論。ピカソを軸に、絵画の世界をみていきます。
「芸術のメジャーリーグ」ともいうべきエコール・ド・パリ。
才能はあっても貧しい外国人芸術家たちがパリに集結しました。
「女性からインスピレーションを得た」ピカソの作風の変遷。
モジリアーニとのエピソードから、ライバル・マティスとの交流。
ピカソを愛した「才能と生命力がある女性」たちの物語は、
「天才」として生きる覚悟を教えてくれます。
「天才」を鑑賞する方法、中谷さんから教わりました。
★こんな方にお奨めです♪
□ピカソの絵を味わいたい方。
□エコール・ド・パリを体感したい方。
□天才との向き合い方を学びたい方。
ゲスト:奈良巧さん(編集者)
エコール・ド・パリ――20世紀前半のパリは、まさに芸術の都。
各地から若い才能が集い、おたがい切磋琢磨していました。
「イタリアからモジリアーニ、ロシアからシャガール、
スペインからピカソ。日本からは藤田嗣治。
当時のパリは、芸術のメジャーリーグだった。」と中谷さん。
「教養の月ナカ」の第1回は、ピカソとその次代がテーマ。
エコール・ド・パリを、味わい尽くしましょう。
「青の時代」というと、ピカソの青年期の陰鬱とした作風。
そんなふうにとらえられていますが、中谷さんはこう指摘します。
「青は、キリスト教的には『高貴』を意味する。マリア様の色。
底辺の人たちを描くのに、あえて青を使った。『どうだ!』と。
このぶっとんだ感じに、パリの芸術家たちは驚いた。」
ピカソをして「マーケティングがうまい。」と評する中谷さん。
私たち日本人がみるピカソと、当時のパリの人たちがみるピカソ。
両者にはだいぶ乖離がありそうです。修正したいですね。
「青の時代」から「バラ色の時代」とピカソの画風は一変します。
この変化をもたらしたのが、最初の恋人・フェルナンド・オリヴィエ。
「アヴィニョンの娘」など、キュビズム時代のモデルをつとめるなど、
不遇時代のピカソと生活をともにした女性です。
「ピカソは、女性からインスピレーションを得た。
いきなり同棲から始まったから、明るい絵になった。」と中谷さん。
この後も、ピカソの絵は、つきあう女性によって進化し続けていきます。
フェルナンド・オリヴィエ、エヴァ・グエル、オルガ・コクローヴァ、
マリー・テレーズ、ドラ・マール、フランソワーズ・ジロー、
ジャクリーヌ・ロック。ピカソと恋愛関係にあった女性たちです。
「絵の根源は、苦悩と生命力。ピカソの恋愛は、9年サイクル。
共通点は、若くて美しくて、才能と生命力がある女性。」と中谷さん。
出会いと別れには「苦悩」は付きもの。そして、絵は苦悩から生まれる。
恋愛は、ピカソの創造性には必要不可欠だったのかもしれません。
ピカソの代表作の一つに「ゲルニカ」があります。
「ゲルニカ」を描くピカソの写真を撮影したのがドラ・マール。
「泣く女」のモデルとしても知られています。
「ピカソ54歳のときに、28歳のドラ・マールと恋をした。
同郷のスペイン出身。詩人でもあり、写真家でもある知性派。
『ゲルニカ』のアイディアは、ドラ・マールとの会話から生まれた。」
つぎの恋人・マリー・テレーズとのアトリエで「決闘」するなど、
ドラ・マールをめぐる物語も、味わい深いものがあります。
ピカソのライバルであり友人であったのが、アンリ・マティス。
マティスは、さまざまな面でピカソとは好対照です。
「ピカソはポーズをとらせない。マティスはとらせる。
ピカソは破壊的な生活、マティスは規則正しい生活。」と中谷さん。
そんなマティスですが、ピカソ同様、女性との交際は激しく、
41歳、47歳、49歳、52歳、58歳、66際、72歳、85歳
――という年齢で、新しい恋愛をスタートさせています。
芸術家はモテるのか、それとも創作には女性が不可欠なのか。
芸術家と女性の関係は、一般人にはうかがい知れませんね。
ピカソが唯一頻繁に相談していたのが、ライバル・マティスでした。
ピカソにとってリスペクトできるのは、マティスだけだったようです。
「ピカソとマティスは、青年と大人の関係。マティスは大人。
ピカソにとってキャンバスは日記、マティスにとっては実験だった。
人生が絵に表れる。僕たちは、芸術家の苦悩を観る。」と中谷さん。
ピカソの絵を病床の暖炉に飾って、眺めつづけたマティス。
マティスのお葬式に、悲しすぎて行けなかったピカソ。
ライバルだからこそ、リスペクトしあう。麗しい関係ですね。
**
月ナカ生活 コーディネーター・曽我清美
「フランス映画の登場人物は、みんな大人。
フランス映画で、僕は『大人』を勉強した。」と中谷さん。
中谷さんが、映画「モンパルナスの灯」を観たのは二十歳のとき。
才能は注目されながらも、売れない画家のモジリアーニの苦悩と焦燥。
当時の中谷青年は、モジリアーニに自分を重ね合わせたといいます。
今回、私も初めて「モンパルナスの灯」を観ました。
すると、中谷さんがお話しになっていたシーンがありませんでした。
「『そんな場面なかった』という観方が、正解。」と中谷さん。
没入して、極度に感情移入することで、「ない」ものが見えてくる。
これが、中谷さんの「没頭」映画鑑賞法なのですね。
★こんな方にお奨めです♪
□フランス映画がよくわからない方。
□大人の行動を習得したい方。
□中谷さんの映画の観方を知りたい方。
ゲスト:奈良巧さん(編集者)
同じ映画を2回以上観たことは、数えるほどしかありません。
「僕は、『モンパルナスの灯』を何回も、何回も観た。
だから、パリでは切手はカフェで売っていることを知ることができた。
映画は、100本観るより、同じ作品を100回観よう。」と中谷さん。
中谷さんにとって、「モンパルナスの灯」は思い出深い作品。
大学時代の恩師が字幕を担当したことがきっかけでハマったとか。
中谷さんの恋い焦がれた「大人の世界」が凝縮された映画です。
「主人公のモジリアーニが、恋人を殴るシーンがある。
『あー、これ、やっちゃだめー』と思った瞬間、リリー・パルマーは、
手を叩いて、『ブラボー!』と叫んだ。それどころか『アンコール!』。
さらに殴られて気絶していたのに、『寝ている間に出ていったでしょ』。
なんだ、この大人の女性って、二十歳の僕には衝撃だった。
大人は、才能を見抜く。大人の女の人とつきあわないとだめだね。」
「モンパルナスの灯」の魅力を語る中谷さん、とても楽しそうです。
「大人」は、リリー・パルマー扮する年上の恋人だけではありません。
ジャンヌが、課題のデッサンをそっちのけにして、
モジリアーニの横顔を描いているのを目にした美術学校の先生。
彼は怒ることもなく、その絵にアドバイス。さらには、
モジリアーニに近づき「彼女のお父さんは堅いよ」と囁く。
転地先のニースで、娼婦の裸婦画を描いていたら、ヒモが登場。
最初はゆすりに来たのに、絵を見た途端、こう叫びました。
「いい絵だ! 俺に売らせてもらっていいか」。
フランス映画で、かっこいい「大人」を勉強しましょう。
フランス映画の展開の速さには、しばしば面食らいます。
「フランス映画には、説明が少ない。日にちは一切出ない。
いきなり肩を組んで歩いている。いきなり朝を迎えて、寝顔を描いている。
説明が足りない。だから、いい。アメリカ映画は説明が過剰。
説明過剰な時代、フランス映画は、レベルの高いお寿司屋さん。
わかる人だけわかればいいのが、フランス映画。」と中谷さん。
「わかる」ためには、何回も何回も観る量稽古が必要ですね。
エコール・ド・パリの代表的画家・アメデオ・モディリアーニ。
イタリア出身のイケメンのモジリアーニは、女性にモテモテ。
でも、30代になっても売れず、酒びたりの日々。焦燥感は募るばかり。
「絵は、苦悩から生まれる。ものづくり人間の苦悩。
監督のジャック・ベッケルも、そこを表現したかったのではないか。」
月ナカ155でも、ピカソとマティスを引き合いにして、
芸術家たちの「苦悩」について語られました。
苦悩と焦燥――これが20歳の中谷さんの心をゆさぶったのですね。
中谷さんはよく「映画の話をしていて、実際に観た人から、
『中谷さん、そんなシーンありませんでしたよ』という声を聞くそうです。
さすがにそんなことはないでしょう――と思っていましたが、ありました。
中谷さんが語る「モンパルナスの灯」のエンディング、ありませんでした(笑)
「『そんな場面なかった』という観方が、正解。
「僕は見た。僕は聞いた。1シーンにどれだけ感情を込められるか。
20歳の悶々としていた時の自分は、モジリアーニだった。」と中谷さん。
感情移入が極度に高まると、「ない」ものが見えてくるのかもしれませんね。
「モンパルナスの灯」のエンディングは、衝撃的でした。
正直なところ、「え、どうして? どういうこと?」でした。
「『わからない』というのは、ストーリーで観ているから。
映画にオチはいらない。余韻を味わおう。」と中谷さん。
死にゆくモジリアーニ。ジャンヌへの最後の言葉は、
「生まれ変わっても、またモデルやってね」だったそうです。
ジャンヌはモジリアーニの亡くなった翌日、投身自殺…
なんとも、心におさまりのつかない展開ですが、これも物語。
二人は、人生を完全燃焼したということなのです。
**
月ナカ生活 コーディネーター・曽我清美