■月刊・中谷彰宏113「マナーのある人が、生き残る。」――品のあるダンディになる生き方術
生き延びるための究極戦術、それは「礼儀作法」。
専門知識も営業力なんて、礼儀作法の前には無力です。
精神力や健康や体力ですら、礼儀作法の足元に及びません。
マナーが良い人は生き延び、マナーが悪い人は淘汰される――これが現実です。
ちょっとした傍若無人な態度が怒りを買い、
ちょっとした気遣いのなさが恨みを買っています。
礼儀作法ができていないことのリスクは、思いのほか大きいのです。
運の悪い人は、こういう小さな怒りや恨みに無頓着です。
こうした恨みが積もり積もって、自分を不幸にすることに気づいていないのです。
運を高めるための礼儀作法、中谷さんから伺いました。
★こんな方にお奨めです♪
□感じのいい挨拶が苦手な方。
□核家族に育った方、核家族を営んでいる方。
□運気を高めたい方。
別冊・中谷彰宏113「空間を広げるより、時間の密度を濃くしよう。」――面白さを共有する恋愛術
女性にモテるのは、面白い人。
では、どういう人が「面白い人」なのでしょうか?
それは「面白がれる人」です。
ピンチ、想定外の事態、単調な仕事――こんなことでも面白がれる。
そんな力量を持った人が、面白い人です。
でも、面白がれる人になるには、それなりの鍛錬が必要です。
どんな状況でも受け止められる度量、面白がれる着眼点を見つけ出す力量。
そう、面白い人は、独自の着眼点を「開発」し続ける人なのです。
どんなことも面白がれるメンタル、中谷さんから伺いました。
★こんな方にお奨めです♪
□面倒くさがりな方。
□「いい人」とよく言われる方。
□自分の魅力を高めたい方。
ゲスト:奈良巧さん(編集者)
○「礼儀作法で、品格が決まる。」(中谷彰宏)
同じように刀を差していても、武士と浪人は違います。
違いは「礼儀作法」。
幼少時から、きちんと躾られている武士は、礼儀作法がばっちり。
一方、浪人は、そうした教育機会には乏しい生い立ちです。
これが、武士と浪人の品格の違いに表れているのです。
サラリーマン生活を経験した経営者は、未経験の経営者より、
品格を感じますが、これも根っこが同じかもしれません。
生き延びるためには、礼儀作法が不可欠であると、
サラリーマン生活で学んできたからなのでしょうね。
○「態度が悪いから、チャンスがつかめない。」(中谷彰宏)
プロ野球の落合博満さんが中日の監督に就任したとき、
最初に取り組んだのが、態度教育でした。
態度をよくすることが、技術の向上に必要だと考えたのです。
「態度教育」は当初、批判されてきましたが、結果を出しました。
こうしてみると、礼儀作法のの効果の程が伺えます。
技術と礼儀というと、一見関係ないようですが、
一流の人たちは、その相関関係を熟知しているのでしょう。
技術と礼儀作法、これが上達のための両輪なのですね。
○「パブリックスペースでのマナーを、わきまえよう。」(中谷彰宏)
公私混同について、世の中が厳しくなってきました。
この風潮に鈍感な政治家は、公私混同で追求されたりしています。
公私の区別の大切さは、お金に限ったことではありません。
「礼儀とは、プライベートスペースとパブリックスペースを区別すること。
核家族に育つと、私的空間と公的空間の区別が身につきにくくなる。」と中谷さん。
「家の中でのふるまい」を外でやってしまうのが、マナーの公私混同。
公私のメリハリに、「育ち」というものが出てしまうのです。
子供にはお金を残すのではなく、礼儀作法を残す。
これが上流家庭の相続というものなのですね。
○「ダンディな男は、権利を主張しない。」(中谷彰宏)
いさかいは、権利の主張がぶつかりあって起こります。
列車の肘掛けの奪い合いから、ウェイターの対応に対するクレームまで。
寛容さに欠けると、権利の主張に走ってしまうものです。
「パブリックスペースでは、悪意なく迷惑がかかることがある。
そういう事態でも、平常心を保てるのがダンディな男。」と中谷さん。
何かにつけてクレームをつけたりするのは、器の小さい証拠。
新人さんの不始末に目をつぶる。
こんな見て見ぬふりで、度量は大きくなっていくのです。
○「その一声が、礼儀作法。」(中谷彰宏)
人間関係が和やかになるかギスギスしたものになるか、
それは、「一声」かけられるかどうかで決まります。
「こんにちは」「ありがとう」「お疲れ様」
こうした「一声」は、必ずしも絶対必要なものではありませんが、
こうした言葉ひとつで、場の空気はぐっと変わります。
とはいっても、「その一声」をかけるには勇気が必要です。
挨拶しても無視されたらバカバカしい――そう考えてしまって、
言うのを、ためられってしまう人もいることでしょう。
そこで問われるのがメンタル力。
見返りを求めずに行動できる、そんなメンタル力を培いたいですね。
○「礼儀正しいと、自由度が高まる。」(中谷彰宏)
礼儀作法を無視して、強引に手に入れるのは「身勝手」。
周囲に十分配慮することで、与えられるのが「自由」。
「身勝手」は、いずれ破綻をきたすことは確実です。
世の中うまくできているもので、周囲に「快適」を与えると、
そのお返しに「自由」が与えられるようです。
仕事を前倒しして、関係者を安心させれば、
締め切りやギャラ面での「不自由」から開放されます。
「自由」を獲得するには、こうした配慮、つまり礼儀が第一。
礼儀作法は、快適に生きるための技法なのですね。
○「挨拶できる人が、生き延びる。」(中谷彰宏)
「短期的に生き延びるためには、その場しのぎの嘘。
中期的に生き延びるためには、勉強。
長期に生き延びるためには、礼儀作法。」と中谷さん。
「生き延びる」という目的に対しても、時間軸の違いで、
こんなに対応の仕方が変わってくるのです。
生き延び戦術の中で最強なのが、挨拶。
ふだん言葉を交わす人を優遇するのが、人情というもの。
いざというときに、手を差し伸べられるのはこういう人です。
生き残るのは、挨拶習慣のあるマナー練達者なのです。
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月ナカ生活 コーディネーター・曽我清美
○「面白い人は、時間の密度を重視する。」(中谷彰宏)
「悪役は豪邸を持っている。007には家がない。」と中谷さん。
「空間の大きさ」にこだわるタイプと「時間の密度」を重視するタイプ。
世の中には、この2種類の人が存在します。
「空間」志向の人は、サイズにこだわります。
年収・学歴や体型、さらには交際した女性の数に至るまで、
「数」でカウントできるものを自慢します。
そんなモテない人たちが「数」を追ううちに、失ってしまうのが「質」。
「質」とは、言い換えれば、時間の密度。
時間の密度を追求する人だけが、瞬間瞬間を楽しめるのですね。
○「女性は、時間の密度を求めている。」(中谷彰宏)
大小、上下、貧富――こういう尺度が、面白さを損ねてしまいます。
一種、男性的ともいうべきこうしたものさしは、
女性との関係を深めていく上では、妨げでしかありません。
女性が男性との関係で求めているのは、感動、感激、感謝といった情動。こうした感情の盛り上がりと、「空間」の優劣は無縁です。
「時間に上下はない。密度の濃い時間で興奮できる。」と中谷さん。
過去の蓄積=「空間」では、女性の心を打ちません。
その瞬間の盛り上がりへの集中力が、モテ力を高めるのです。
○「音楽は、究極の時間芸術。」(中谷彰宏)
コンサートで、いちばん盛り上がるのは知っている曲。
知らない曲ばかりのコンサートは楽しめないものです。
「音楽は、究極の時間芸術。新曲で感動はない。」と中谷さん。
過去に聴いた音楽を頭の中で再生しながら、目の前の音楽に向き合う。
記憶と生体験――この二重構造が、感動を与えてくれるようです。
新しい物を追い求めるより、過去の物を深掘りしてみる。
それが芸術を理解するための王道なのかもしれませんね。
○「何度も味わうから、深い境地に到達できる。」(中谷彰宏)
初めて聴く音楽、初めて観る絵で感激できる人は、よほどの達人です。
これは映画も同じこと。
「初めて観る映画はストーリーを追いかけている。
本当に観ることができるようになるのは、二度目から。」と中谷さん。
二度目になると、頭に筋が入っていますから、余裕が生まれます。
細かい演出や遊び心あふれるちょっとした仕掛け、さらには創り手の意図まで。
何度も味わうことで、より深い境地に達することができるのです。
映画鑑賞は、二度目からが醍醐味なのですね。
○「時間型の人は、待ち時間を楽しめる。」(中谷彰宏)
「待ち時間=悪」という公式が一般的には成り立っています。
でも、中谷さんは違います。
「過去の余韻と未来の予感が、今の興奮を生む。
待ち時間に文句を言う人は、ディズニーランドを味わえない。」
子供を例にとってみるとわかりやすいかもしれません。
「過去」の経験が少なく、「未来」を予見する力も乏しいのが子供です。
「今」しか味わえないから、待ち時間が苦痛に感じるのも無理もありません。
待ち時間を味わう、それは、成熟した大人だけの愉しみなのです。
○「ワルとは、面白さを教えてくれる人。」(中谷彰宏)
「ワルは不良ではない。面白さを教えてくれる人。」と中谷さん。
ギャンブル、夜遊びから、釣りや野球観戦まで。
ジャンルは関係なく、その世界の深い部分を見せてくれる人、それがワル。
一方、健康的かどうか、無難かどうか、将来性があるかどうか、
そういうことで物事を見る「いい人」がいます。
そういう人は「いい人」ですが、つまらない……
ありきたりの価値観ではなく、独自の価値観で生きる。
そんな魅力的な人が、ワルというものなのです。
○「面白がれる人が、面白い人。」(中谷彰宏)
独自の価値観を持っている人は、なんでも面白がることができます。
グルメな人は、食にうるさいので、不満を抱えがちですが、
本当の食通は、どんな料理でも「面白がる」ことができます。
ファストフードのパンケーキ、ぴろぴろの薄い肉、変な店の微妙なメニュー。
おいしいかどうかではない、独自の価値観があるからです。
「深さとは、常人の常識から外れた理解不能な世界。
評判の蕎麦屋さんより、妻子に捨てられた蕎麦屋さんに物語がある。」
面白がることができる人は、物語を楽しめる人なのですね。
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月ナカ生活 コーディネーター・曽我清美