「テーマとキャラクターで、歴史が息づく。
点と点が繋がってくる。長年の謎が解ける興奮。
謎解きをやるのが、大人の勉強。」と中谷さん。
そのためには、勉強。知識が「点」になるからです。
今回の切り口は「パン」。その発祥から発展、
関係した人物の物語から、歴史的意義まで。
パンをめぐる多様な展開から学ぶもの大です。
「古代メソポタミアでは、小麦粉を水でこね、
焼いただけのパンだった。それがエジプトに伝わり、
ビール酵母の働きを発見し、発酵パンが生まれた。
それがインドに渡って、ナンになり、
地中海を渡って、ピザになった。」と中谷さん。
技術の伝播は、食文化にそのまま反映されていきました。
やがて日本では、「菓子パン」として花開きます。
日本のパン文化に貢献したのは、幕末の洋学者でした。
たとえば、韮山反射炉建設で知られる江川太郎左衛門。
「江川太郎左衛門は、軍用パンを試作していた。
アヘン戦争ショック。列強が来るのも時間の問題。
戦争に備えて、兵糧としてのパンに、彼は着目した。
米は腐るが、パンは保存がきく。」と中谷さん。
保存が効く。これもパンの強みとなったのですね。
「パン消費量の1位は京都。2位は神戸。
観光客向けじゃないから、手抜きができない。
京都には喫茶店も多いから、レベルが高い。
神戸では、米騒動のときに米屋が襲撃された。
お米がなくなって、パン食が定着した。」と中谷さん。
パン消費量というデータから、街の一面が見えてきます。
こういう学びなら、いくらでも探究できますね。
パンといえば木村屋。明治初期、東京で創業されました。
明治7年、初代・木村安兵衛が酒種あんぱんを考案。
山岡鉄舟から献上され、明治天皇のお気に入りに。
ビスケットをヒントに、3代目がジャムパンを考案。
「経営危機のとき、パン職人のクビを切った。
ところが失敗。すぐに従来のやり方に回帰して、V字回復。
職人気質と新商品開発が、木村屋のお家芸。」と中谷さん。
伝統は、チャレンジ精神と職人根性が支えているのですね。
エジプトからイタリアにもたらされた「ピッツァ」は、
大西洋を渡って「ピザ」となりました。
「ピザはアメリカ料理。イタリア移民が持ち込んだ。
ピザは、具を味わう。ピッツァは、別物。皮を味わう。
ピッツァは、24時間発酵させて、石窯で焼いたものだけ。
ピザカッターは使わない。1枚丸ごと食べる。」と中谷さん。
同系統の料理にも、それぞれ、お国柄が出ますね。
「パンは、生地の味。フランスパンのクープ。
釜伸びをよくして、形を整えて、火通りをよくする。
だけど、それだけじゃない。大事なのは、噛みごたえ。
噛みながら、混ぜていく。流し込んではだめ。
パンは、アミラーゼで味わう。お米と同じ。」と中谷さん。
日本では、パンの耳を嫌う傾向がありますが、
パンの味わいポイントは「耳」なのかもしれませんね。