月刊・中谷彰宏「月ナカ生活」

月刊・中谷彰宏197「パンは、鉄砲と一緒に伝来した。」――『パン史』

日本人は歴史的にお米を主食としてきました。
それが今や、すっかりパンに凌駕されています。
その背景にあるのは「多様性」なのかもしれません。
パンは、古代メソポタミアから生まれ、エジプトに。
地中海を越えて、イタリアでピッツァ、アメリカでピザに。
インドでナン、日本では、菓子パンを生み出しました。
多くの人の手で、「多様性」をもたらされてきたのです。
パンの「強さ」は、ここにあるのかもしれません。
多様性の強み、中谷さんから教わりました。

  


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○「謎解きをするのが、大人の勉強。」(中谷彰宏)

「テーマとキャラクターで、歴史が息づく。
点と点が繋がってくる。長年の謎が解ける興奮。
謎解きをやるのが、大人の勉強。」と中谷さん。
そのためには、勉強。知識が「点」になるからです。
今回の切り口は「パン」。その発祥から発展、
関係した人物の物語から、歴史的意義まで。
パンをめぐる多様な展開から学ぶもの大です。

○「インドでナンに、地中海を渡ってピザになった。」(中谷彰宏)

「古代メソポタミアでは、小麦粉を水でこね、
焼いただけのパンだった。それがエジプトに伝わり、
ビール酵母の働きを発見し、発酵パンが生まれた。
それがインドに渡って、ナンになり、
地中海を渡って、ピザになった。」と中谷さん。
技術の伝播は、食文化にそのまま反映されていきました。
やがて日本では、「菓子パン」として花開きます。

○「江川太郎左衛門は、軍用パンを試作した。」(中谷彰宏)

日本のパン文化に貢献したのは、幕末の洋学者でした。
たとえば、韮山反射炉建設で知られる江川太郎左衛門。
「江川太郎左衛門は、軍用パンを試作していた。
アヘン戦争ショック。列強が来るのも時間の問題。
戦争に備えて、兵糧としてのパンに、彼は着目した。
米は腐るが、パンは保存がきく。」と中谷さん。
保存が効く。これもパンの強みとなったのですね。

○「パン消費量の1位は京都。2位は神戸。」(中谷彰宏)

「パン消費量の1位は京都。2位は神戸。
観光客向けじゃないから、手抜きができない。
京都には喫茶店も多いから、レベルが高い。
神戸では、米騒動のときに米屋が襲撃された。
お米がなくなって、パン食が定着した。」と中谷さん。
パン消費量というデータから、街の一面が見えてきます。
こういう学びなら、いくらでも探究できますね。

○「新商品開発が、木村屋のお家芸。」(中谷彰宏)

パンといえば木村屋。明治初期、東京で創業されました。
明治7年、初代・木村安兵衛が酒種あんぱんを考案。
山岡鉄舟から献上され、明治天皇のお気に入りに。
ビスケットをヒントに、3代目がジャムパンを考案。
「経営危機のとき、パン職人のクビを切った。
ところが失敗。すぐに従来のやり方に回帰して、V字回復。
職人気質と新商品開発が、木村屋のお家芸。」と中谷さん。
伝統は、チャレンジ精神と職人根性が支えているのですね。

○「ピザは具を食べる。ピッツァは皮を食べる。」(中谷彰宏)

エジプトからイタリアにもたらされた「ピッツァ」は、
大西洋を渡って「ピザ」となりました。
「ピザはアメリカ料理。イタリア移民が持ち込んだ。
ピザは、具を味わう。ピッツァは、別物。皮を味わう。
ピッツァは、24時間発酵させて、石窯で焼いたものだけ。
ピザカッターは使わない。1枚丸ごと食べる。」と中谷さん。
同系統の料理にも、それぞれ、お国柄が出ますね。

○「パンも米も、アミラーゼで味わう。」(中谷彰宏)

「パンは、生地の味。フランスパンのクープ。
釜伸びをよくして、形を整えて、火通りをよくする。
だけど、それだけじゃない。大事なのは、噛みごたえ。
噛みながら、混ぜていく。流し込んではだめ。
パンは、アミラーゼで味わう。お米と同じ。」と中谷さん。
日本では、パンの耳を嫌う傾向がありますが、
パンの味わいポイントは「耳」なのかもしれませんね。