江戸の街を悩ましたのが、洪水でした。 将軍・徳川吉宗は、堤防に桜の木を植えました。 多くの人が訪れて、踏み固めてくれるからです。 悩みは落ち葉。でも、それを生かしたのが山本新六。 塩漬けにした桜の葉で、餅をくるんで「桜もち」に。 「追い詰められたとき、発明が生まれる。」と中谷さん。 吉宗と山本新六、二人のアイディアは秀逸ですね。
垂仁天皇の命を受けた田道間守は、「常世の国」にある、
不老長寿をもたらす「非時香菓」を探す旅に出ました。
10年かけて発見した「非時香菓」は、今でいうところの橘。
橘とは、みかんの原種。最上級の「菓子」とされていました。
「今でも、果物を水菓子というように、大昔、菓子とは、
果物のことだった。田道間守は、菓祖となった。」と中谷さん。
果物と菓子は、同じカテゴリーだったとは驚きですね。
お菓子の歴史に一大変革をもたらしたのは、甘み。
それまでのお菓子は「甘味」とはいえないしろものでした。
「鑑真が日本にもたらしたのは、戒律だけじゃない。
砂糖と蜂蜜。この時代、どちらも薬扱いされていた。
マルクハニーは殺菌効果がある。口内炎によく効く。
渡来僧は、テクノロジーを持ってきた。」と中谷さん。
「甘み」は、テクノロジーの賜だったのですね。
「お坊さんは、お腹が空く。主食が少ないし、重労働。
アスリートレベル。そこで発案されたのがどら焼き。
どら焼きを発明したのが空海。「どら」とは銅鑼。
お茶を持ち帰った栄西は、饅頭も持ち帰った。
甘酒を足すと発酵して、甘くなることがわかった。
これで、革命的スイーツブームが起こった。」と中谷さん。
お寺は、お菓子のイノベーションセンターだったのですね。
中国の禅僧・林浄因は室町時代、饅頭をもたらしました。
饅頭の祖・林浄因が住み着いたのは、奈良。
「当時の奈良は、政治闘争から一線をおいていた。
商工業も盛んで、中国人や朝鮮人も多かった。
奈良の自由さが、奈良饅頭を生み出した。」と中谷さん。
饅頭「まんとう」が饅頭「まんじゅう」に。
イノベーションには、自由な気風が必要なのですね。
「宮内庁御用達」で検索してみると、食品だけでも、
味噌、醤油、酢、饂飩、カステラ、海苔、蒲鉾、
緑茶、コーヒー、日本酒といった品々が見つかりました。
お菓子ジャンルには、とらやの「竹皮包羊羹 夜の梅」が。
調べてみると、とらやは室町時代後期に京都で創業。
以来、皇室とのつながりを保ちながら、現在に至りました。
和菓子の歴史を通じて、日本の歴史を学びましょう。
和菓子には、味わい深いネーミングのものが多々あります。
「東風」は菅原道真の「東風吹かば――」の歌に由来。
「飛び梅」も菅原道真の逸話、「竜田」は大和の竜田川、
「初ちぎり」は江戸期の俳人・加賀千代女の句に由来。
「和菓子には、菓銘がある。菓銘は、短歌や俳句、花鳥風月、
歴史や名所旧跡に由来している。風景を味わう。」と中谷さん。
和菓子は、教養で味わうものなのですね。