月刊・中谷彰宏「月ナカ生活」

「銀座」を学んで、漲るパワー。

銀座を「ふるさと」にする、

中谷流「後藤新平」仕事術。

月刊・中谷彰宏188「大人は、ピンチに生まれ変わる。」――『銀座史』

いま中谷さんは、銀座の職人さんたちに取材中です。
その流儀やスピリッツを伺っているとのこと。
「銀座は、じつは職人の街。僕も職人の家の子。
銀座で僕は、自分のDNAを再発見した。
銀座に行けるかどうかが、大人かどうかの分かれ目。
価格帯、客層、それ以外の結界が張り巡らされている。
大人とつきあえば、銀座に行けるようになる。」
「銀座」を丸呑みする方法、中谷さんに伺いました。

ゲスト:奈良巧さん(編集者)

【単品】月刊・中谷彰宏188

【データ版】月ナカ188 価格:1,700円(税込)

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○「さびれた土地だったから、銀座が生まれた。」(中谷彰宏)

銀座といえば、ハイエンド。最高峰の街です。
でも、そんなイメージは、じつは後からできたものでした。
「新興の町は、碁盤目に整備される。銀座は埋立地。
数寄屋橋の数寄屋とは、本来、田舎風という意味。
さびれた土地だったから、銀座が生まれた。」と中谷さん。
銀座の栄光も時間をかけて培われたものだったのです。
銀座から、成長と成熟の気分を体得しましょう。

○「花街は、逆談合の社交の場。」(中谷彰宏)

江戸時代、江戸は人口100万人の世界最大の都市でした。
参勤交代で、諸国の武士が集まっていたのです。
江戸の整備のために、土木工事が盛んに行われました。
工事を請け負ったのは諸大名。いわゆる天下普請です。
「幕府から命じられた工事を、押し付けあったのが花街。
女性がいると、男のエネルギーがわいてくる。」と中谷さん。
花街は丁々発止の「逆談合」に源流があったのですね。

○「銀座は、新橋のサブカルチャーだった。」(中谷彰宏)

明治維新を迎えると、花街の勢力図にも変化が現れました。
幕府御用達の柳橋に代わって台頭してきたのが新橋。
新橋は、薩長など新政府側が贔屓にしていたのです。
「汽笛一声、新橋を。最初に鉄道が敷かれたのは新橋。
サラリーマンの街・新橋は、明治官僚の街だった。
新橋芸者さんが、甘味を食べにいくところが銀座。」
新橋に「従属」する銀座。今では想像もつかないですね。

○「ハレとは、口説くこと。」(中谷彰宏)

銀座といえば接待。ビジネスの商談が花開く夜の街。
商談とは「口説き」であると、中谷さんは指摘しました。
「銀座はハレの街。ハレとは非日常。
非日常とは、口説くこと――と寿司幸のご主人。
いっしょに、花火を打ち上げましょう。
接待は口説き。だから銀座は、ハレの街。」と中谷さん。
銀座の艶めかしさは、お祭りに由来していたのですね。

○「地下鉄銀座線は、花街をまわっている。」(中谷彰宏)

東京の地下鉄第1号は銀座線。昭和2年に開通しました。
「上野・浅草で開通したのに、なぜ銀座線なのか。
これには、関東大震災が関係してくる。
帝都復興院総裁・後藤新平が立案した帝都再建計画。
ここでは、中心を浅草でも日本橋でもなく銀座とした。
上野、浅草、銀座、新橋、赤坂、青山。
花街をめぐっているのが、銀座線。」と中谷さん。
では、なぜ銀座線は、花街を串刺しにするのでしょうか。

○「銀座は、田舎者の街。」(中谷彰宏)

「銀座は田舎者の街。3代たどれば地方出身者。
キャバレー「白いばら」が愛されたのも、そうした理由から。
ふるさとのなまりなつかし停車場の――上野駅と同じ。
じつは、銀座はハイエンドな街ではない。
ふるさとを思い起こす街だった。」と中谷さん。
キャバレー「白いばら」、時々トークに出てきますね。
調べてみると、昭和6年創業。関東大震災のわずか8年後。
これも銀座線の謎を解くヒントになるかもしれません。

○「銀座は、苦境に強い。」(中谷彰宏)

「関東大震災のとき、帝都復興院総裁・後藤新平は、
銀座を軸とした復興計画を立てた。
新しい動きを牽引するのが、銀座。」と中谷さん。
何が「銀座」をそこまで引き立てるのでしょうか。
ひょっとしたら、銀座の「ふるさと」性かも。
後藤新平は現在の岩手県出身。刻苦勉励して出世しました。
そんな「成り上がり」のエネルギーを受け止めるのが銀座。
後藤にとって銀座は「白いばら」だったのかもしれません。

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月ナカ生活 コーディネーター・曽我清美