月刊・中谷彰宏「月ナカ生活」

料理で「家庭」を取り戻そう。

陶芸家から学ぶ、中谷流「自然」発見術。

月刊・中谷彰宏174「自然の色を、感じよう。」――『半泥子・魯山人』

川喜田半泥子と北大路魯山人――この2人の陶芸家を紹介します。
川喜田半泥子は三重県津の素封家の御曹司。
家業を継いで銀行家として活躍する一方、数々の名作を世に送り出しました。
「下手で、不器用で、上品で、力強いものが、いい。」という半泥子は、
洒脱で、サービス精神旺盛で、自由な芸術家でした。
北大路魯山人はマンガ「美味しんぼ」の海原雄山のモデルとして有名です。
魯山人は複雑な家庭環境のなか生を受け、その後も、過酷な環境で生育しました。
「最高の料理とは、家庭料理」という言葉に、
家庭を渇望していた魯山人の魂の叫びを聞く思いがします。
運命を受け入れようという半泥子と反骨の人・魯山人。
泥を捏ね上げながら見えてきた二人の人生観の根底にあるのは「自然」。
宿命を背負いながら、人生を切り開く方法、中谷さんから伺いました。

★こんな方にお奨めです♪

□陶芸に興味のある方。
□「自然」にふれる意味を知りたい方。
□複雑な家庭環境で悩んでいる方。

ゲスト:奈良巧さん(編集者)

【単品】月刊・中谷彰宏174

本編の一部を無料試聴いただけます。

【データ版】月ナカ174 価格:1,700円(税込)

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○「無茶とは、自由。」(中谷彰宏)

「半泥子」――半分泥にはまっていて、半分はまっていない。
泥まみれになりながらも、自分を見失わないという意味です。
半泥子が私淑する禅僧が命名しました。
「半泥子には雅号が多い。無茶法師というのもある。
常識の外へ行け。無茶とは、自由。」と中谷さん。
雅号に、自分に人生に託した思いを見て取ることができますね。
ちなみに、中谷さんが高校時代に自らつけた雅号は「憧風」。
風に憧れるなんて、なんて風流でいなせな高校生でしょうか。

○「注ぎ口から注ぐのは、貧乏注ぎ。」(中谷彰宏)

半泥子の言葉に、つぎのようなものがあります。
「下手で、不器用で、上品で、力強いものが、いい」
これについて、中谷さんは、
「徳利で、注ぎ口から注ぐのは、貧乏注ぎ。
注ぎやすいから、つい気が緩む。
注ぎにくい側で注げば、丁寧になる。上品になる。」
あえて緊張感を高めることによって、品性を高める。
半泥子の精神が現れていますね。

○「芸術とは、遊び。」(中谷彰宏)

「銀行頭取の仕事を終えてから、スリーピースのまま轆轤をまわす。
半泥子はおしゃれ。轆轤に魂をのせて遊んでいる。
土がもういいっていうまで揉む。芸術とは、遊び。
耐えざる修練をつみながら、風雅に遊ぶ。」と中谷さん。
びっくりさせるのが大好き。お金を循環させる。
土を選ばない。シングルオリジン。土の個性を重んじる。
「運命には従順であれ」
半泥子のしなやかな生き方は「遊び」という言葉に集約されていますね。

○「最高の料理とは、家庭料理だ。」(中谷彰宏)

母の不倫と父の割腹自殺。その後、養子に点々とやられた少年期。
育児放棄と虐待、少年魯山人が生き延びるためには、
料理でかわいがられるという道しかありませんでした。
「最高の料理とは、家庭料理だ」とは北大路魯山人の言葉。
「家庭」を追い求めた魯山人は、ホームドラマに嗚咽したといいます。
「家庭料理があれば、孤独じゃなくなる」とは奈良さんの言葉。
孤独は、家庭料理で癒やされるのかもしれませんね。

○「料理とは、悟り。こしらえることではない。」(中谷彰宏)

「料理とは、素材の原始的本能をいかしながら芸術に高めるもの。
料理は理をはかる。不自然な無理をしてはならない。
料理は悟ることであって、こしらえることではない」と魯山人。
諸道具、骨董、美食にすべてを注ぎ、夜は読書と研究。
その鍛錬あって、42歳で「星ヶ岡茶寮」を開くという成功を収めます。
しかし、6度の離婚や芸術家への罵倒、そして星ヶ岡茶寮からの追放。
「三度炊く飯さえ硬し軟らかし思うままにはならぬ世の中」
料理を探求しながら、自分を探求していたのかもしれませんね。

○「自然を観る眼を養わねば、いい芸術はできない。」(中谷彰宏)

坐辺師友――北大路魯山人の座右の銘とされています。
周りのすべてが師であり、友であるとの意味だそうです。
魯山人の言葉に、つぎのようなものがあります。
自然に対する素直さだけが、美の発見者になる。
あなたは、あなたの食べたものでできている。
手が込んでいるからいいわけではない。
料理は好きでつくるんだ。あたたかい愛情でつくる」
幼少期からの人間関係に絶望していた魯山人、
彼の「友」は「自然」を通じての「美」だったのかもしれませんね。

○「高きを行く人に、世間は悪口を言う。」(中谷彰宏)

「高きを行く人に於いては衆は必ず之を非る」と魯山人。
崇高な世界を目指す人を、世間の人々は非難する。
魯山人の罵倒は常軌を逸したものに映りますが、
彼の幼少期からの物語を知れば、それもわかるように思います。
「魯山人は、人間に失望しすぎた。でも、その人生は、
この世の中をすこしでも美しいものとしたいと思って歩んだ。
半泥子と魯山人、ぜんぜん違うけれど、どちらも物語。」と中谷さん。
善し悪しで判断するのではなく、彼らの人生を丸飲みする。
そこから、私たちの人生指針が見えてくるようにも思えます。

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月ナカ生活 コーディネーター・曽我清美