いい作品をつくれば、おのずと評価される。
芸術家とは、その芸術性が高く評価された人。
これらは、意外と知られていない誤解かもしれません。
超絶技巧のフランツ・リストも、会話でのし上がりました。
ベルリオーズ、メンデルスゾーン、ショパン、
シューマン、そしてワーグナー。
彼らは「社交界」で認められて、世に出た人たちです。
社交界を勝ち抜くためには、なによりも「会話」。
いかなる世界でも、有力者に愛されなければ芽は出ません。
才能を支援されるための会話術、中谷さんから伺いました。
★こんな方にお奨めです♪
□19世紀の社交界について学びたい方。
□会話力に自信のない方。
□才能の活かし方がわからない方。
ピアノを習い始めたときの定番、それは「乙女の祈り」。
「そもそも、乙女って誰のこと? それは、聖母マリア様。
では、この曲を書いた人って、誰なのか知ってる?」
テクラ・バダジェフスカは、知られざる音楽の革命家。
貴族の嗜みだったピアノを、ブルジョワに広めた立役者です。
正規の教育を受けていないので、アカデミー界からは無視。
みずから手売り、未婚のまま五人の子供を育てた根性の女性。
「乙女の祈り」は、根性の女性バダジェフスカの祈りなのです。
誰でも一度は耳にしていることでしょう、「威風堂々」。
作曲者は、エドワード・エルガー。イギリスの作曲家です。
「『威風堂々』は、イギリスの第二国家。
聴いた途端、エリザベス女王がお出ましになるよね。
あげまんアリスがエルガーの才能を見い出して、売り出した。
天才の面倒をみるのが、あげまんの本懐。」と中谷さん。
才能に惚れ込み、愛せるのがあげまんなのですね。
ネットはもちろん、CDもない時代、芸術家の勝負の場はサロン。
サロンで人気を博した人だけが、芸術家として活躍できました。
「イサム・ノグチも、師匠から中身がないと言われて発奮した。
知性、教養、頭の回転、観察力、直感力、そして胆力。
サロニエールに愛されるためには言葉。おしゃれな会話。」
貴族社会のネットワークに、いかにして入り込むか。
芸術家に求められたのは、コミュニケーション能力だったのですね。
19世紀のパリ社交界。ショパンと人気を二分したのがフランツ・リスト。
代表作「ハンガリー狂詩曲」は、一度は耳にしたことがあるでしょう。
「ピアノの魔術師」と呼ばれたリスト、かなりのイケメンでもありました。
「20歳のとき、15歳年上の公爵夫人と不倫のスキャンダル。
でも当時は、離婚はだめだけど、不倫は許されていた。
これで炎上して、リストは、ますます売れた。カリスマの誕生。
コマーシャリズムアートは、リストから始まった。」と中谷さん。
道ならぬ恋を芸術に昇華させたリスト。さすがというほかありませんね。
リストの時代、音楽をめぐる世界も激変しました。
それまで自分を高めるための修養だった音楽が、
ブルジョワのエンターテインメントになったのです。
「モーツァルトは神童だったが、不遇だった。
モーツァルトの時代、音楽家の地位は、とても低かった。
これをリストが変えた。彼は28歳から36歳にかけて、
260都市1000回のツアーを実施した。」と中谷さん。
リストが「ピアニスト」を発明したのです。
「1803年にエクトル・ベルリオーズ。09年、メンデルスゾーン。
10年には、ショパンとロベルト・シューマン。11年にリスト。
そして1813年には、リヒャルト・ワーグナー。
才能は、かたまって現れる。才能同士が刺激し合う。
そこには、市場もできる。」と中谷さん。
リストと対比されるショパン。2人はじつは仲良しで、
「自分の曲はこう弾くんだ」とリストから学んだともいいます。
天才たちの麗しいエピソードですね。
アートが「人気」の昨今、中谷さんの言葉は考えさせられました。
「芸術の使命は、苦悩に満ちた現実を天空の高みに昇華させること。」
励ます、癒やす、気持ちを奮い立たせる、敬虔な心をもたらす。
芸術家とは、天賦の才をもって、人々の情動に働きかける天才。
音楽を通じて、作曲家の人生と人となりを知る。
私たちに与えられた才能の活かし方を学ぶことでもあるのです。
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