月刊・中谷彰宏「月ナカ生活」

感情移入できるのは、誰?

ストーリーを超越する、

中谷流・「共犯」映画鑑賞術。

月刊・中谷彰宏167「覚悟のある者同士が、結ばれる。」――好きな人を成長させるアゲマン術

成功者についての大誤解。それは「一生順風満帆だった」というもの。
それも、無理もありません。描かれるのは、主に「成功」だからです。
でも、史実を紐解いてみれば、成功者の人生は、むしろ敗北まみれ。
立身出世の代名詞である豊臣秀吉にしても同様です。
今なら40代半ばにあたる33歳で、ようやく「正社員」採用されました。
「みんな勘違いしているけど、秀吉は出世が遅かった。
33歳でようやく正社員。秀吉は、遅咲きだった。」と中谷さん。
人生いつからでも立身出世。そのための心得、中谷さんから伺いました。

★こんな方にお奨めです♪

□つい言い訳してしまう方。
□アゲマンになりたい方、出会いたい方。
□「人生、これからだ」と思っている方。

ゲスト:奈良巧さん(編集者)

【単品】月刊・中谷彰宏167

本編の一部を無料試聴いただけます。

【データ版】月ナカ167 価格:1,700円(税込)

※メールでデータをお送りします。

自動配信ではありませんので、配信に最長1日かかります。

【CD版】月ナカ167 価格:5,000円(税・送料込)

最高45%引き! 特典たっぷり! 定期受講に便利!

成功者についての大誤解。それは「一生順風満帆だった」というもの。
それも、無理もありません。描かれるのは、主に「成功」だからです。
でも、史実を紐解いてみれば、成功者の人生は、むしろ敗北まみれ。
立身出世の代名詞である豊臣秀吉にしても同様です。
今なら40代半ばにあたる33歳で、ようやく「正社員」採用されました。
「みんな勘違いしているけど、秀吉は出世が遅かった。
33歳でようやく正社員。秀吉は、遅咲きだった。」と中谷さん。
人生いつからでも立身出世。そのための心得、中谷さんから伺いました。

★こんな方にお奨めです♪

□つい言い訳してしまう方。
□アゲマンになりたい方、出会いたい方。
□「人生、これからだ」と思っている方。
★月ナカ167――7つの学び

○「33歳で正社員。秀吉は、遅咲きだった。」(中谷彰宏)

豊臣秀吉といえば、誰もが立身出世の典型的人物として知ってます。
でも秀吉は、じつは遅咲きでした。33歳まで、うだつの上がらない人生。
「みんな勘違いしているけど、秀吉は出世が遅かった。
33歳でようやく正社員。秀吉は、遅咲きだった。」と中谷さん。
戦国時代の33歳といえば、今でいえば40代半ばあたりでしょうか。
そろそろ老境に差し掛かろうという時期からの大逆転。
これから巻き返そうという方、秀吉から学ぶところ大ですよ。

○「言い訳すると、共感を得られない。」(中谷彰宏)

秀吉のエピソードで有名なのが、北陸戦線からの無断離脱。
上司である柴田勝家と衝突し、秀吉は勝手に陣払いしたのです。
ふつうなら切腹ものです。当然、信長も激怒しました。
でも、このとき秀吉は、居城で飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。
謹慎していると、かえって信長は疑い、言い訳すると、信長は怒る。
秀吉は、そんな信長の性格を熟知していたのです。
「言い訳すると、共感を得られない。」と中谷さん。
相手の斜め上をいく立ちふるまいを、秀吉から学びましょう。

○「『侍』でなかったから、秀吉はいくさが強かった。」(中谷彰宏)

「秀吉はもともと百姓の子。人生のほとんどを商人として生きてきた。
調略、兵糧攻め、水攻め。『侍』でなかったから、秀吉は強かった。
『侍』である山本五十六は、無線傍受は卑怯として、やらなかった。
秀吉は、情報操作で、のし上がってきた男。」と中谷さん。
「職人」の素晴らしさは、いつも中谷さんが指摘するとおりです。
でもそれが、柔軟性や現実性を縛ってしまうこともあります。
「異世界」体験が、そうした殻を破る手助けになるのですね。

○「覚悟のある者同士が、結ばれる。」(中谷彰宏)

秀吉は腕力も強くない、小柄な男性。名もない農民の出でした。
そんな秀吉と14歳で結婚したのが寧々。のちの北政所です。
「寧々さんは、いいところの娘さんだった。
それが氏素性もわからない、10歳も上の男と恋愛結婚した。
武家は見合い結婚が普通の時代。もちろん、お母さんは大反対。
この男には何かがあると見抜いた寧々さんは、すごい。」
秀吉の真価を見抜いた寧々さん。これぞ、アゲマンですね。

○「真ん丸は、品がない。完璧ではないところに美がある。」(中谷彰宏)

吉野太夫といえば、容姿のみならず、和歌、俳諧、書、茶道、琴、琵琶、笙、
香道、華道など諸芸に秀でていた、いわゆる「寛永三名妓」のひとり。
「吉野窓」とは、彼女とゆかりの深い常照寺にある丸窓のことです。
「吉野窓は、まんまるだけれど、下が切れている。
まんまるは品がない。完璧は美しくないという美意識。
ザラっとしたところを残しておけよ。きれいすぎたらあかん。」
丸窓を通じて吉野太夫は、みずからを戒めていたのかもしれませんね。

○「灰屋紹益が、好色一代男のモデル。」(中谷彰宏)

本阿弥光悦といえば、江戸時代初期における最高峰の芸術家。
この光悦を大叔父に持つのが灰屋紹益です。
紹益は豪商の一人でしたが、商売よりも文芸にのめり込みました。
茶の湯、和歌、挿花、書画、蹴鞠、俳諧――
これらの超一流から手ほどきを受けました。
「ときの関白・近衛信尋と吉野太夫をめぐって争い、勝利した。
灰屋紹益が、好色一代男のモデル。」と中谷さん。
当時の色恋は教養次第。教養で、男女は惹かれあったのですね。

○「面白いことは、入り口の手前にある。」(中谷彰宏)

中谷さんのレクチャーで、とくに印象深かったこと、
それは、美術館のアプローチとお寺の石段の見立てです。
「目的地」の前にして、ついおろそかになりがちな「手前」。
「靖国神社の遊就館や徳川美術館。すぐに入っちゃだめ。
面白いものは、入口の前にある。」と中谷さん。
秀吉の物語にしても、駆け上がるときのほうが輝いています。
成功そのものより、成功への道程に味わいがあるのですね。

**

月ナカ生活 コーディネーター・曽我清美