父親にふりまわされるうちに、当代の名士たちとの邂逅を果たす。
人間関係に身を任せるうちに、大成していったイサム・ノグチ。
日本のアカデミックな美術界では評価されずに、単身パリへ。
誹謗中傷や白眼視をものともせず、道化を演じつづけた藤田嗣治。
彫刻家は、石から「像」を取り出す。石を取り替えたりしない。
書家は、書き損じからリカバーして、さらなる味わいを引き出す。
中谷さんは、編集者から与えられたタイトルで、書き始める。
「制約」は避けたり、なくそうとするのではなく、バネにする。
「制約」をエネルギーに転用する方法、中谷さんから教わりました。
★こんな方にお奨めです♪
□「イサム・ノグチ」を鑑賞したい方。
□「藤田嗣治」を鑑賞したい方。
□芸術が織りなす人間関係を概観したい方。
父・米次郎の突発的な行動にふりまわされる、イサム青年。
アメリカでの高校時代、野口英世との出会いを果たします。
医学者としてすでに名を馳せていた野口英世に、イサムは問います。
イサム「医学に進むべきでしょうか、それとも芸術でしょうか?」
野口「当然、芸術家だよ。すごい仕事だよ、芸術家は!」
「野口英世の器の大きさを感じるよね。」と中谷さん。
こういう「出会い」は、流れに身を任せる「覚悟」のたまもの。
流れは、あらがうのではなく、身を委ねるものなのですね。
レオナルド・ダ・ビンチ美術学校に進学したイサム・ノグチ。
早々に「天才」と評価されましたが、まだまだ駆け出しの彫刻家。
そこで弟子入りしたのは、巨匠・コンスタンティン・ブランクーシ。
「お前はうまい。ただ、中身がない」と師匠のブランクーシ。
ところが、ノグチは次第に「中身」を獲得していきます。
高村光雲・光太郎親子、知の巨人・バックミンスター・フラー。
こうした「すごい人」たちが、ノグチに「中身」をもたらしたのです。
才能を確実なものにするのは「すごい人」体験なのですね。
建築家・丹下健三とのエピソードも、心躍るものがあります。
丹下の代表作として知られるのが、広島平和記念公園。
じつは、ここには、イサム・ノグチのデザインがあふれています。
丹下はイサム・ノグチを推薦しましたが、周囲の反対にあいます。
「敵国アメリカ人」の手によるものでは慰霊にならないというのです。
「究極の彫刻は、大地。」と中谷さん。平和記念公園では、
イサム・ノグチと丹下健三の想いにもふれたいですね。
適性がどこにあるのか、自分ではなかなかわからないものです。
奈良さんも、週刊朝日から「加齢臭で書いてよ」と言われて、
書き始めたのが『加齢臭読本』として刊行されたとのこと。
中谷さんも、こうおっしゃっています。
「最近、僕は、与えられたタイトルで書いている。
意外と書ける。制約があるから、いいものができる。」
選り好みするより、周りの人からのリクエストに応える。
これが、自分の才能を発見する近道なのかもしれませんね。
ある高名な作家が「人間は欲望と恐怖心で動く」といいました。
たしかに、恐怖を避けるために、人は行動的になれます。
東日本大震災のあと、被災地での引きこもりが激減したそうです。
日々の生活の不安が、彼らを行動的にさせたのかもしれません。
「建築家は幸せになっちゃだめ」と、建築家・安藤忠雄さん。
幸せを感じてしまうと、ハングリー精神が萎えてしまう。
それでは、いい作品を創ることはできないというのです。
「不安が、エネルギー源になる。」と中谷さん。
不安は排除するのではなく、上手にエネルギーにしたいですね。
現代アートは、禅の公案みたいなものかもしれません。
「説明」なく、観る人に、いきなり問いが突きつけられるからです。
「能面が人形浄瑠璃になり、人形浄瑠璃の表情は歌舞伎になった。
日本の演劇は、すべて、お能から始まっている。
お能には、説明がない。現代アートは、お能。」と中谷さん。
以前、フランス映画には「説明」が少ないというお話がありました。
「説明」は、じつはイマジネーションの敵なのかもしれませんね。
海外に頻繁に行くようになると、日本のよさが見えてきます。
古くは夏目漱石や森鴎外、それに画家・藤田嗣治もその一人でした。
ささやかながら、私もそんな気持ちを持つようになりました。
「エコール・ド・パリには、世界中から天才がやってきた。
日本人の感性は新鮮だった。だから、一躍寵児になった。
藤田はよく『江戸』を描いた。イサム・ノグチも日本を愛した。
美術館に行くと、日本のよさがわかる。」と中谷さん。
芸術にふれることは、みずからを遠くから観ることなのですね。
**