生活者としてのゴッホは、不器用そのもの。
仕事は長続きしない。人との距離感がよくわからない。
強烈に思い込みが強く、やることなすこと空回り。
そんなゴッホと並び立つのがカラヴァッジョ。
「カラヴァッジョの絵は、ハリウッド映画。」と中谷さん。
宗教画の革命児・カラヴァッジョは、とても喧嘩っ早い人でした。
ついには殺人で指名手配され、逃亡資金を稼ぐために絵を描いたとも。
日常が破綻していた2人の巨匠、しかし、とても敬虔だったのです。
「神に尽くしたい」という心情と己の中の情動の相克。
不器用だからこそ、新しい世界を想像できる。
不器用を「価値」にするための教養、中谷さんから教わりました。
★こんな方にお奨めです♪
□美術史の転換点を知りたい方。
□不器用で悩んでいる方。
□「印象派」の全体像を掴みたい方。
「印象派」とは、19世紀後半のパリで起こった芸術運動。
パリの市民社会の成熟を背景に、美術界に革新をもたらしました。
印象派の画家というと、まず名前が上がるのがモネ。
「印象・日の出」や「睡蓮」に見られるように、水と光を描きました。
もう一人の巨匠はルノワール。彼は女性と光にこだわりました。
「ゴッホはポスト印象派。印象派を大きく変えた。」と中谷さん。
ゴッホは印象派の発展型というより、じつは破壊者だったのです。
ゴッホの偉大さは、新しい美術を創造したところにあったのですね。
中谷さんのお父さんは、染物屋とスナックを営んでおられました。
よく月ナカ・別ナカでも、お父さんのエピソードが語られますね。
中谷さんの職人気質とサービス精神は、家業由来だったのです。
「ゴッホはオランダ生まれ。出身地の風土は大きく影響する。
ゴッホのお父さんは牧師、伯父さんは画商。
生まれと家業で、芸術家をとらえよう。」と中谷さん。
親や親族の仕事、そして風土と時代背景を予め勉強しておく。
「背景」を知ることで、作品を深く味わうことができるのですね。
「画家=モテる」というイメージを多くの人は持っています。
前回テーマのピカソやモジリアニはその代表例。
ところが、ゴッホは別。ぜんぜんモテなかったのです。
「ゴッホはクソ真面目。思い込みが強い。顔が近い人。
距離感がわからないからモテなかった。」と中谷さん。
画商になりながら、やはり「顔が近い」ことでクビに。
牧師や伝道師の道も開かれず、やむなく画家になったゴッホ。
ゴッホの不器用な人生は、私たちに勇気を与えてくれます。
35歳で「耳切リ事件」、36歳で精神科病院入院、37歳でピストル自殺。
幸せとはいえないゴッホの生涯。その晩年は、とくに悲惨なものでした。
彼の作品を世に送り出したのは、弟・テオの妻ヨハンナでした。
あまりにも兄に尽くす夫に対して、妻のヨハンナはやきもき。
テオもしだいにゴッホとの距離をとらざるを得なくなりました。
そんなとき、ゴッホが拳銃自殺。その半年後には、テオが病死。
2人の死を前にして、ヨハンナは自責の念に駆られたようです。
「奥さんが、必死にゴッホの絵を売った。
テオに届いた手紙を本として刊行した。」と中谷さん。
こうした人間模様も含めての「芸術」を鑑賞したいですね。
「ゴッホを継いだのがムンク。ムンクの『叫び』。あれは、
『みんな、私の悪口を言っているー!』と耳を塞いでいる姿。」
ゴッホの絵には、自身の精神状態が如実に描き出されています。
「ゴッホが、初めて絵に内面を描いた。」と中谷さん。
労働者や生活者を愛する聖職者としての慈愛の視点、
アルルに移り住み、理想郷建設に向けた情熱。
精神的に破綻を来した晩年の鬱屈。
作品の向こうにあるゴッホの心情を汲み取りましょう。
「それまでのキリスト教絵画は、難しかった。
その点、カラヴァッジョの絵はハリウッド映画。
彼がルネッサンス絵画から、バロック絵画への扉を開いた。」
すっかり「お伊勢参り」化していた十字軍。
イスラムの科学主義に太刀打ちできないキリスト教文化。
腐敗するプロテスタントに対するプロテスタントの台頭。
グーテンベルクによる活版印刷の発明。
こうした時代背景を受けて登場したのが、カラヴァッジョ。
歴史を知ることで、絵の鑑賞はより深まっていきます。
「カラヴァッジョは映像の力を取り入れた。
暗闇の中から、マリア様が飛び出してきた。
人々は、カラヴァッジョの絵で恍惚を得た。
恍惚――エクスタシーとは、悟り。」と中谷さん。
説明で、宗教的「悟り」に到達しようという従来の方法を、
映像の力で、エクスタシー=悟りに到達させようとしたのです。
カラヴァッジョの革新性は「映像」にあったのですね。
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