今号から、「仕事の月ナカ」は「教養の月ナカ」に衣替え。
今回は芸術論。ピカソを軸に、絵画の世界をみていきます。
「芸術のメジャーリーグ」ともいうべきエコール・ド・パリ。
才能はあっても貧しい外国人芸術家たちがパリに集結しました。
「女性からインスピレーションを得た」ピカソの作風の変遷。
モジリアーニとのエピソードから、ライバル・マティスとの交流。
ピカソを愛した「才能と生命力がある女性」たちの物語は、
「天才」として生きる覚悟を教えてくれます。
「天才」を鑑賞する方法、中谷さんから教わりました。
★こんな方にお奨めです♪
□ピカソの絵を味わいたい方。
□エコール・ド・パリを体感したい方。
□天才との向き合い方を学びたい方。
エコール・ド・パリ――20世紀前半のパリは、まさに芸術の都。
各地から若い才能が集い、おたがい切磋琢磨していました。
「イタリアからモジリアーニ、ロシアからシャガール、
スペインからピカソ。日本からは藤田嗣治。
当時のパリは、芸術のメジャーリーグだった。」と中谷さん。
「教養の月ナカ」の第1回は、ピカソとその次代がテーマ。
エコール・ド・パリを、味わい尽くしましょう。
「青の時代」というと、ピカソの青年期の陰鬱とした作風。
そんなふうにとらえられていますが、中谷さんはこう指摘します。
「青は、キリスト教的には『高貴』を意味する。マリア様の色。
底辺の人たちを描くのに、あえて青を使った。『どうだ!』と。
このぶっとんだ感じに、パリの芸術家たちは驚いた。」
ピカソをして「マーケティングがうまい。」と評する中谷さん。
私たち日本人がみるピカソと、当時のパリの人たちがみるピカソ。
両者にはだいぶ乖離がありそうです。修正したいですね。
「青の時代」から「バラ色の時代」とピカソの画風は一変します。
この変化をもたらしたのが、最初の恋人・フェルナンド・オリヴィエ。
「アヴィニョンの娘」など、キュビズム時代のモデルをつとめるなど、
不遇時代のピカソと生活をともにした女性です。
「ピカソは、女性からインスピレーションを得た。
いきなり同棲から始まったから、明るい絵になった。」と中谷さん。
この後も、ピカソの絵は、つきあう女性によって進化し続けていきます。
フェルナンド・オリヴィエ、エヴァ・グエル、オルガ・コクローヴァ、
マリー・テレーズ、ドラ・マール、フランソワーズ・ジロー、
ジャクリーヌ・ロック。ピカソと恋愛関係にあった女性たちです。
「絵の根源は、苦悩と生命力。ピカソの恋愛は、9年サイクル。
共通点は、若くて美しくて、才能と生命力がある女性。」と中谷さん。
出会いと別れには「苦悩」は付きもの。そして、絵は苦悩から生まれる。
恋愛は、ピカソの創造性には必要不可欠だったのかもしれません。
ピカソの代表作の一つに「ゲルニカ」があります。
「ゲルニカ」を描くピカソの写真を撮影したのがドラ・マール。
「泣く女」のモデルとしても知られています。
「ピカソ54歳のときに、28歳のドラ・マールと恋をした。
同郷のスペイン出身。詩人でもあり、写真家でもある知性派。
『ゲルニカ』のアイディアは、ドラ・マールとの会話から生まれた。」
つぎの恋人・マリー・テレーズとのアトリエで「決闘」するなど、
ドラ・マールをめぐる物語も、味わい深いものがあります。
ピカソのライバルであり友人であったのが、アンリ・マティス。
マティスは、さまざまな面でピカソとは好対照です。
「ピカソはポーズをとらせない。マティスはとらせる。
ピカソは破壊的な生活、マティスは規則正しい生活。」と中谷さん。
そんなマティスですが、ピカソ同様、女性との交際は激しく、
41歳、47歳、49歳、52歳、58歳、66際、72歳、85歳
――という年齢で、新しい恋愛をスタートさせています。
芸術家はモテるのか、それとも創作には女性が不可欠なのか。
芸術家と女性の関係は、一般人にはうかがい知れませんね。
ピカソが唯一頻繁に相談していたのが、ライバル・マティスでした。
ピカソにとってリスペクトできるのは、マティスだけだったようです。
「ピカソとマティスは、青年と大人の関係。マティスは大人。
ピカソにとってキャンバスは日記、マティスにとっては実験だった。
人生が絵に表れる。僕たちは、芸術家の苦悩を観る。」と中谷さん。
ピカソの絵を病床の暖炉に飾って、眺めつづけたマティス。
マティスのお葬式に、悲しすぎて行けなかったピカソ。
ライバルだからこそ、リスペクトしあう。麗しい関係ですね。
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