○「知識主義では、行動できない。」(中谷彰宏)
口コミサイトの評価が高い。だから、あのレストランに行きたい。
会社の同僚たちがやっている。だから、ゴルフを始めたい。
「こうすればこうなる」という打算で行動するのが知識主義。
一方、「興味があるからこうする」というのが興味主義です。
なんだかそそられる店構えだから、ドキドキしながら入ってみた。
なぜかその形状に心惹かれてしまい、蛾の収集をしている(←実話)。
「知識主義と興味主義は、真逆。」と中谷さん。
知識に頼らず、興味の赴くまま行動してみましょう。
○「興味とは、自分の価値軸に根ざした直観。」(中谷彰宏)
「好きなことが見つからない」という方は、じつは、
自分でかけた「呪縛」から逃れられていないのかもしれません。
変なことを興味を持っていたら、変なやつだと思われてしまう……
こんなことに興味を持っているようでは、成功できない……
そんな呪縛が、自然な心の営みを妨げているのかもしれません。
「興味とは、自分の価値軸に根ざした直観。」と中谷さん。
心を開放することで、興味主義に転換できるのですね。
○「知識主義だと、体験に奥行きが出てこない。」(中谷彰宏)
ネットで、評判の映画をチェック――でも、それが、
映画を楽しむ上でのバイアスになっているかもしれません。
中谷さんは、最近、韓国映画にはまっているようです。
でも、韓国映画のネットでの評判は散々……。
中谷さんは、そんな「知識」にとらわれることはありませんが、
私たちは、ついそういう「知識」を参考にしてしまいかねません。
「知識主義だと、体験に奥行きが出てこない。」と中谷さん。
知識が、せっかくの体験を不毛なものにしてしまいかねないのです。
○「興味で動く人は、一人で行動できる。」(中谷彰宏)
中谷さんは、しばしば、一人で行動することの大切さを説いています。
一人行動するから、他の人とコミュニケーションする機会が得られる。
一人行動するから、自分の世界を豊かなものにできる。
こんな人たちが興味主義。自分の感性に逆らわずに生きています。
一方、知識主義の人は、人目を気にして、同調行動。
そんな群れてつるみがちな方にお勧めなのが、一人行動。
一人で行動するうちに、興味体質に生まれ変われるはずです。
○「自分の価値軸がないと、知識主義になってしまう。」(中谷彰宏)
知識を身につけようと思っても、そう簡単にはいきません。
でも、興味があることなら、不思議なほど、すいすいと頭に入ります。
「勉強が好きな子は、勉強に興味を持っている。
暇だから勉強する。疲れたから本を読む。」と中谷さん。
義務だから勉強する。将来得をするから勉強をする。
こういう子供では、すぐに息切れしてしまいます。
知識の詰め込みではなく、興味を引き出す。
これが教育の本質なのですね。
○「芸術とは興味。知識では芸術は味わえない。」(中谷彰宏)
最近、春画に興味を持った中谷さん、その世界に魅了されています。
「春画はポルノではない。恋人同士の愛を描いている。
顔、着衣、人となりから家の佇まいまで。
局部が大きく描かれるのも、愛に大きさは関係ないというメッセージ。」
こういう見方は「知識」を土台としては得られません。
「知識にドキドキはない。興味にはドキドキがある。
芸術とは興味。知識では、芸術は味わえない。」と中谷さん。
興味を持った世界を深掘りすることで、芸術に昇華できるのです。
○「効率的でないことを、やろう。」(中谷彰宏)
すべてが「コスパ」の良しあしで、判断されがちな御時世。
「そんなことをやって、どんな意味があるの? メリットは?」
――こんな問いかけは日常的に行われます。
でも、そんな問いかけこそ、「意味あるの?」なのかも。
「効率を考えていては、興味は持てない。
非効率なことに、人生を見いだすのが興味主義。」と中谷さん。
効率・非効率という尺度にとらわれていると、
自分の人生の大切なものを見落としてしまうのです。