月刊・中谷彰宏「月ナカ生活」

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月刊・中谷彰宏110「観察力のある人が、成功する。」――休み時間に差がつく仕事術

子供が照れるのはかわいいものです。
でも、大人が照れるのはとても見苦しい。
礼儀作法はたいせつですが、照れがあってはすべてが台無し。
「堂々・颯爽」がマナーの根本姿勢なのです。
では、「上質なふるまい」を身につけるにはどうしたらいいでしょうか。
そのためには、まずは上質な人たちを観察すること。
ここで間違えやすいのは、観察する「場」。
達人は「本番」を観察する以上に「練習」や「リハーサル」、
さらには「終演後」に注目します。
そんなときに、スマホを見ていてはもったいない。
見どころは「本番の前後」に凝縮されているのです。
自分に磨きをかける観察ポイント、中谷さんに伺いました。

★こんな方にお奨めです♪

□つい照れてしまう方。
□元を取ろうと、がめつくなってしまう方。
□ついスマホに目が行ってしまう方。

ゲスト:奈良巧さん(編集者)

本編の一部を無料試聴いただけます。

【データ版】月ナカ110 価格:1,700円(税込)
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○「照れるのは、マナー違反。」(中谷彰宏)
マナーとは、大人の作法。
ときにはわざとらしくもあり、ときにはキザかもしれません。
そんな「つくられた行動の型」、それがマナーなのです。
突き詰めれば、マナーなんてなくても生きていけます。
でもそれでは、潤いのない無味乾燥な日常になってしまいます。
先人たちが築きあげた「虚構」を楽しめるのが大人の醍醐味。
そこで、絶対避けなければならないのが「照れ」なのです。
照れてしまっては、虚構を楽しむ大人の迷惑。
大人の世界では、「照れるのは、はマナー違反。」なのですね。

○「爽やかに、キザなせりふを言おう。」(中谷彰宏)
どんな名文句にしても、そこに「照れ」があれば、
「鼻持ちならないひと言」になってしまいます。
でも、「照れ」が吹っ切れていれば、「キザなせりふ」になります。
どや顔でも照れ顔でもなく、爽やかに言い放つ。
そんな芸当は、日常的に鍛錬していなければできません。
「ギリギリいっぱいの向こうに、バランスがある。」と中谷さん。
ギリギリの「ずっと手前」でも「ずっと向こう」でもない。
「微妙に超える」ところにあるのが「妙」というもの。
この距離感をどうわきまえるかに、日ごろの精進が出るのです。

○「おしゃれな人は、長居しない。」(中谷彰宏)
何ごとも「物足りない」くらいがちょうどいいものです。
めいっぱいに楽しもうと、がっついてしまうと、
「次」へのモチベーションが下がってしまいます。
嵐山光三郎さんは、温泉は20分程度で上がるといいますし、
中谷さんも、お寿司屋さんは40分程度で切り上げるといいます。
「もう帰っちゃうんですか」
そんな残心が「再会」の喜びをもたらすのです。
物足りないくらいで切り上げる。
それがダンディズムというものなのですね。

○「断念があれば、次につながる。」(中谷彰宏)
村上春樹さんは、原稿を書くときに、
いくらのっていても、一日あたりに決めた枚数に達したら、
その瞬間に、執筆をやめるのだそうです。
「のっているのに、もったいない」と感じるのは素人の貧乏性。
プロフェッショナルは、その時の「断念」を大切にします。
「断念があれば、次につながる。」と中谷さん。
断念した瞬間の「熱」は消えることがありません。
その「火」は、「次」につながるのです。
プロフェッショナルの思考法は、時間軸が長いのですね。

○「待ち時間を、楽しもう。」(中谷彰宏)
「待ち時間」の過ごし方に、人の真価が表れます。
待ち時間を「待たされている時間」ととらえてしまうのは、
うだつが上がらない人によく見られる思考癖です。
成功者は、待ち時間に積極的に意味づけします。
現地に早めに到着して、日ごろできないようなことをやる。
たとえば、書店やお店を見て回るとか、
しばらく連絡していなかった旧友に連絡するなど。
待ち時間を「特別な時間」にできるかどうかが腕の見せ所。
時間の意味は、自分で見出すものなのですね。

○「本番の前後に、観察のチャンスがある。」(中谷彰宏)
野球観戦なら、試合前の練習風景。
コンサートに行くなら、開演前の準備風景。
プレゼンなら、終えてからの雑談。
合コンだったら、終えてからの「反省会」でしょうか(笑)。
本番は「完成品」でしかありません。
「メイキング」にこそ、創作者の技巧が埋もれているものです。
せっかくの「生体験」、見るべきものは、画面に映し出されない世界。
そんなとき、スマホを見ていてはあまりにももったいない。
画面に映し出されない世界を凝視しましょう。

○「修羅場体験が、観察力を磨く。」(中谷彰宏)
「修羅場体験」ほど、勉強になることはありません。
信頼していた人が平然と裏切ったり、平気で悪口を言ったり
――そんなことはよくあります。
「修羅場」に、人間の本性が表れるものです。
でも、これは「よき観察者」にとって、かっこうの素材といえます。
こういう姿をいつ自分がさらしてしまうかわかりません。
だから、修羅場体験は不幸なことではないのです。
そういうときこそ、人間の観察機会と意味づけしましょう。
修羅場になったら、目を閉じるのではなく、
目をしっかり見開いて、しっかり観察することなのですね。


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月ナカ生活 コーディネーター・曽我清美