1本目の映画は「HK/変態仮面」です。
パンティをかぶると、無双状態になる主人公。
「愛子ちゃん、どうか俺の戦う姿を見ないで欲しい」
「俺は正義の味方だが どうやら正義は俺の味方ではないらしい」
愛する女性のために戦う変態仮面の悲痛と滑稽。
「変態でなければ、人間としてつまらない。」と中谷さん。
「かっこよさ」を極めれば、変態に到達するのですね。
「好きなことを、偶然でするな」は、
「気合を入れて打ち込め」という比喩。
「ムチで叩かないで」は「叩いて」という願望。
「僕はただの変態じゃない。正義の変態だ」は、
自己の変態性に対するプライドの表れ。
「映画は、キャラ。セリフで、キャラが生まれる。」
筋よりもセリフ。中谷さんの真意がここに表れていますね。
どうせダメだから、やらない。これが常識人。
でも、変態は違います。変態は、
「もうだめだ。どうせだめなら、やってみる」
「ここで諦めたら、ただの変態になってしまう」
「変態仮面の言葉は、背中を押してくれる。」と中谷さん。
変態仮面という悲痛なヒーローの独白から、
ピンチへの立ち向かい方を学ぶことができますね。
「変態は、ストイック。本能ではなく、美意識。
使用価値ではない、独自の価値基準を持っている。
変態か変態でないかではなく、どんな変態か。
立派な変態か。どこに出しても恥ずかしくない変態か。
ストイックな変態かと自問する。」と中谷さん。
世間の厳しい風当たりを受けながら、おのれの道をゆく。
変態こそ、パーフェクトヒューマンなのかもしれません。
2本目の映画は、直木賞作家・辻村深月原作の「ツナグ」です。
松坂桃李扮する主人公・歩美は、高校2年生。
祖母のアイ子から、「ツナグ」の継承者として指名されます。
ツナグとは、生者と死者の橋渡しをする使者。
「大事なのは、どういう気持から出た行動か。」と中谷さん。
さまざまな「行動」の背後に伏せられた心の動き。
死者との語らいから、初めて見えてくる世界もあるのです。
突然、目の前からいなくなって早7年。
婚約者は、どこへ行ってしまったのだろうかと煩悶する男。
「愛の力とは、愛される力ではない。愛する力。
愛されるは、苦しくない。脇役。
愛するほうが自由がある。」と中谷さん。
愛されるほうが「お得」と考える人もいますが、
それは他人任せの人生。愛する人生を選びたいですね。
映画「ツナグ」、いい意味で、抑揚の少ない静かな作品でした。
「盛り上げない。どんでん返しがない。ひねらない。
ただ、淡々と積み重ねるだけ。描写されるのは、心。
小津安二郎映画にも通じる、日本の省く文化。
ストーリーが面白いと、逆に、心が離れていく。」
ハリウッド映画と対極をなす、日本の伝統的な映像文化。
日本人の精神文化を「ツナグ」で再認識したいですね。
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