「ハリウッド映画は、必要のないシーンがない。
必要のないシーンがないと、疲れてしまう。
何度も観るうちに、必要ないシーンに味が出てくる。」
今回は「バッドサンタ」と「イミテーション・ゲーム」。
私は「イミテーション・ゲーム」を観ましたが、
「必要ないシーン」が、どこか見つかりませんでした。
もっと修行して、メリハリを見つけられるようになりたいです。
映画「バッドサンタ」はその名の通り、悪党サンタ。
サンタに扮しながら、デパート泥棒を企む主人公。
その悪巧みに気づいたデパートのガードマン。
でも、それを通報するどころか、強請ってくる始末…
「正義の大切さをちっとも訴えていない。
善良な主役は面白くない。悪がリアル。」と中谷さん。
悪の世界のリアルに、人間の本質が浮き彫りになりますね。
「商売は、口車に乗らないといけない」
これは、中谷さんのお父さんの教えでした。
調子のいい話、眉唾な話であっても、時にはのってみる。
そうしないと、チャンスが掴めないし、学びも得られない。
「悪から学ぶ教訓もある。教訓は多面的。
正論だけでは、教訓にならない。」と中谷さん。
「バッド」から学ぶことが、大人の勉強なのですね。
どういう人とつきあうかは、人生の大問題。
「胡散臭い人」とは、どう向き合うべきでしょうか。
「胡散臭い人とは、やっかまれている人。
モテモテで、すごい人だから、胡散臭いと言われる。
ときには騙されたり、めんどくさいことになる。
でも、いい人限定で排除していたら可能性がなくなる。
胡散臭さに、真実がある。」と中谷さん。
胡散臭い人と渡り合える度量を持ちたいですね。
アラン・チューリングは、コンピュータの生みの親。
天才的数学者として、ナチスの暗号解読に挑みます。
「エニグマを解読するためには、協力者が必要。
俺よりすごいやつを雇いたい。傲慢でありながら謙虚。
数学者は、アーティスト。」と中谷さん。
「正しく考察された数学にあるものは真実のみではない」
これはバートランド・ラッセルの言葉。
「美」の追求こそ、数学者の宿命なのかもしれません。
チューリングのチームに、ソ連のスパイが潜り込んでいました。
気づいたチューリングは「お前、スパイだな」と迫ります。
一方のスパイは「お前、同性愛者だろ」と逆襲。
当時、同性愛者は刑罰の対象とされていたのです。
それを乗り越えて上官に訴え出たチューリングに、
「知ってたよ。泳がせているんだ」と上官。
さらに、チューリングの同性愛も知っていました。
正義に囚われていれば、大きな仕事はできないのですね。
3億円事件が起きたとき、東京の人たちは怒りました。
ところが、大阪の人たちは違ったと中谷さん。
「おっちゃんも噛ませてくれれば――」
まるで小噺のようですが、ここにも教訓がありそうです。
「善悪をジャッジして、怒りまくるより、
自分に活かそうと考えるのが、クリエイティブ。
カウント、1、2、2.9。これはAIにはできない。」
善悪を超越したところに創造性は花開くのですね。
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