○「主人公とは、成長する人。」(中谷彰宏)
「ヒーローは、主人公ではない。主人公とは、成長する人。
主人公とは誰か、それが僕の卒論のテーマ。」と中谷さん。
以前ご紹介した「テキサスの五人の仲間」。
この映画の主人公は、主役のヘンリー・フォンダではなく、
カモにされたことで成長した「五人の仲間」でした。
この解説を中谷さんから伺って、目からウロコが落ちました。
「主人公は誰か?」という観点からの映画鑑賞。
「人間の成長」というものが、映画の本質だったのですね。
○「服では差別されない。言葉で差別される。」(中谷彰宏)
オードリー・ヘップバーン扮するイライザは花売り娘。
オペラハウス前で花を売る彼女の言葉をメモするヒギンズ教授。
「ロンドンは階級社会。ストリートで貧富の差が分かれる。
階級差が言葉に現れる。言葉で差別される。」と中谷さん。
下層社会に身を置くイライザ。彼女の「言葉」を洗練して、
社交界へデビューを果たすことができるか。
そんな賭けから始まった、イライザの根性物語。
ヒギンズの教育は実を結びましたが、物語はここからが佳境でした。
○「どう振る舞うかではなく、どう扱われるか。」(中谷彰宏)
イライザを「淑女」にすることに成功したヒギンズ教授。
二人の間には、恋愛感情が芽生えてもおかしくない展開です。
ところが、女性には無関心の教授は、イライザにつれない態度。
「レディと花売りの違いは、どう振る舞うかではなく、どう扱われるかです。
私は大佐から淑女を学びました」とイライザはプチぎれ。
大佐とはヒギンズ教授とともにイライザを指導した紳士のこと。
ピグマリオン効果。扱われ方一つで人間は変わるのですね。
○「鳩が飛び立ったら、帽子をとろう。」(中谷彰宏)
夜空に鳩が飛び立ったとき、ヒギンズ教授は帽子をとりました。
完全にスルーしていたこのシーン。中谷さんは、違いました。
「キリスト教世界では、鳩は精霊とされている。
ここは、神様のお告げがくだされたシーン。
ヒギンズ教授は、何かしてあげなければいけないと心に誓った。
わかる人だけが、わかる。もちろん、知らなくても、楽しめる。
でも、僕はもっと楽しみたいから、勉強する。」
教養を深めることで、世の中の見え方は変わってきますね。
○「カタルシスを得るよりも、議論をしてもらいたい。」(中谷彰宏)
「マイ・フェア・レディ」の原作は「ピグマリオン」。
それは、かのバーナード・ショーによる戯曲です。
「バーナード・ショーはアイルランド貴族の出身。
貧しい人たちを助けようと、社会主義団体を結成した。
女性の社会進出について否定的だった時代、イライザをして、
バーナード・ショーは、それをひっくり返そうとした。
この物語で、彼が望んだのは、議論。
カタルシスを得ることではない。」と中谷さん。
映画を一度観ただけでは、到達できない境地ですね。
○「弟子の成長が、先生の成長。」(中谷彰宏)
バーナード・ショーが理想とした「新しい時代の女性」。
それがイライザでした。頭の回転がよく、柔軟で、
強い意志を持っていて、そして何よりも根性がある。
「イライザは、教授に授業料を払うと言ってのけた。
ここが、すごい。弟子の成長が、先生の成長。
イライザの成長で、ヒギンズ教授も成長できた。
娯楽を通じて、啓蒙するのが演劇の原点。」と中谷さん。
「成長」を共有できるコミュニティに身を置きたいですね。
○「生命力とは、物事をよい方向に変えていく力。」(中谷彰宏)
「イライザは、女の魅力を利用しようとしなかった。
言葉遣いを直せば可能性が見えてくる。自分の成長に賭けた。
生命力――ライフフォースとは、良い方向に物事を変えていく力。」
バーナード・ショーの言葉に、次のようなものがあります。
「人生とは、自分を見つけることではない。自分を創ることだ」
「いつも自分をきれいに磨いておくように。
自分という窓を通して世界を見るのだから」
バーナード・ショーから「マイ・フェア・レディ」に連なる精神は、
まさに、中谷さんの思想の根底につながっていたのですね。
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