「この話はね、ちょっとたいへんなんですよ。やられましたねえ。」
中谷さんがご紹介するのは、映画「この世界の片隅に」。
わたしも前もって観ましたが、とても感動しました。
でも、その「感動」も、中谷さんのお話を伺ってしまうと、
ひじょうに浅いものだったのだと思い知らされました。
「気に入った映画は、原作を読む。そして何回も観る。」と中谷さん。
わたしも2回めの鑑賞を前に、まずは、原作を読んでみました。
あの場面は、こういうことだったのか――そんな発見の連続。
映画「この世界の片隅に」の味わい方、中谷さんから教わりました。
★こんな方にお奨めです♪
□映画「この世界の片隅に」をご覧になった方。
□映画「この世界の片隅に」を観たいと思った方。
□絶望の中の純愛を味わいたい方。
中谷さんの映画指南で再三言われるのが、冒頭のシーンの大切さ。
「The NET 網に囚われた男」でも、「テキサスの五人の仲間」でも、
タイトルバックや冒頭のシーンに、物語を味わう鍵がありました。
「冒頭のシーンを、すごく観る。ここで、じっくり観るか見極める。」
飲み物の支度をしたりと、冒頭は流し見することが多かったので反省…
始まりから集中することが、映画に対する礼儀なのですね。
10銭のチョコレートか、それとも5銭のキャラメルか。
迷う主人公のすず。このシーンも大事な伏線でした。
広島の街。産業奨励館の堂々たる建築。このシーンも伏線。
「片淵監督は、めちゃくちゃ調べている人。
いろいろなところに、伏線を仕込んでいる。」と中谷さん。
中谷さんの映画鑑賞法の一つに「何度も観る」がありますが、
こんな「伏線」を味わうためなのですね。
誹謗中傷、バッシング、批判と炎上……
「悪」をつくることよって、自分の正しさを確認する。
そんな人が増えてきているような気がします。
「悪をつくらないのが、やさしさ。」と中谷さん。
自分を誘拐した「人さらい」にすら情けをかける少年。
彼の「やさしさ」が、この物語の基調になっています。
「悪」は、その人の心のありかた次第なのですね。
北條家に嫁いだすず。周作さんとの祝言を終えて――
「傘持ってきたかの?」「はい」
「さしてもええかの?」「はい」
このやりとりは、初夜の決り文句なのだそうです。
「本当に持ってきた傘で吊るし柿をとって、二人で食べる。
説明はない。こういうシーンに、ホッとする。」と中谷さん。
「説明」がないほうが、情感は深まるのですね。
「戦争をあつかった映画なのに、明るいシーンが多い。
だから、逆に、切なさがにじみ出る。」と中谷さん。
「うちは、よう、ぼうっとした子じゃあ言われとって」と主人公のすず。
切符売り切れで、電車に乗れずに舞い戻るすず。
貴重な砂糖を誤って、水瓶に落としてうろたえるすず。
呉港をスケッチしていたら、憲兵から取り調べを受けるすず。
彼女をめぐるユーモアが「戦争」の本質をあぶり出しています。
「うちは大人になるらしい」18歳で請われるまま、お見合いしたすず。
「困ったね~。嫌なら断わりゃええ言われても、
嫌かどうかも分からん人じゃったね~」と、よくわからないまま結婚。
最初は、なれない土地で、ハゲができるほどの気苦労を重ねたすず。
でも、「しみじみニヤニヤしとるんじゃ!」と幸せを実感するように。
「結婚してから、恋愛が始まる。」と中谷さん。
周作「すずさん、あんたを選んだんは、たぶんわしにとって最良の選択じゃ」
すず「周作さん、ありがとう。この世界の片隅に、うちを見つけてくれて。
ほんでも離れんで、ずっとそばにおって下さい」
結婚は、ゴールインではなく、スタートラインにつくことだったのですね。
水原「お前だけは、最後までこの世界で普通で、まともでおってくれ」
リン「誰でも、この世界でそうそう居場所はのうなりゃせんのよ」
径子「すずさんの居場所はここでもええし、どこでもええ」
婚家の中に「居場所」を見つけられない嫁。
戦争で焼け出されて「居場所」を失った被災地の人びと。
戦争が終わった、ある夕暮れ。街灯が灯り、家々からは炊煙が上がる。
空には星が瞬く。「普通」とは「居場所」のある日常だったのですね。
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