「絶対借りないでしょ、このタイトル」と中谷さん。
そのタイトルとは「恋はデジャ・ブ」。たしかに借りません(笑)。
でも、中谷さんの解説を聴いたあと観ましたが、大感動しました。
深い叡智に満ちた名作として、私の心に刻まれています。
映画「フランケンシュタイン」も「ありえない映画」でした。
ところが、中谷さんの解説を聴いたら、観たくてしようがなくなりレンタル。
「フランケンシュタイン」は「文明への警鐘」がモチーフだったのですね。
手塚治虫版「千夜一夜物語」も、最初は気乗りしませんでしたが、
観終えた今、「ちいせえ、ちいせえ」のセリフがリフレインしています。
「ありえない」はずが運命の映画に。映画は、恋愛に似ていますね。
「ありえない映画」で成長する方法、中谷さんから伺いました。
★こんな方にお奨めです♪
□「無私の精神」を体得したい方。
□映画の原作を読まなかった方。
□手塚治虫作品にふれてみたい方。
「絶対借りないでしょ、このタイトル(笑)」と中谷さん。
「恋はデジャ・ブ」は、ハロルド・ライミス監督のラブコメディ。
ビル・マーレー扮する主人公が出くわした奇妙な体験、
それは――何度目を覚ましても、2月2日の朝6時を迎えてしまうこと。
絶望した主人公は、悪事や恋愛に悪用(?)する日々を送ります。
しかし、それにもやがて飽きが。最後に取り組んだのは「人助け」。
「人助けは一段上。毎日やっても飽きない。」と中谷さん。
ハロルド・ライミス監督作品で「無私の精神」を学びましょう。
「家出」した中谷少年が向かったのは、やっぱり映画館。
まず観たのは「若大将」三本立て。次に観たのが「陽のあたる坂道」。
「いい映画だな」と、その足で本屋さん。
石坂洋次郎の原作を買い求めて、家出を打ち切り帰宅しました(笑)
「『ジョーズ』にしても、人生に悩みを抱える男たちの深い話。
2時間に収めるのは難しい。映画は、ダイジェスト。
原作を読めば、パート2を観ている気持ちになる。」と中谷さん。
より深い世界に踏み込むために、原作を読みましょう。
「フランケンシュタイン」を書いたのはメアリー・シェリー。当時、19歳。
メアリーがのちの夫となる詩人のパーシー・ビッシュ・シェリーと駆け落ちし、
同じく詩人のバイロンたちとスイス・レマン湖畔の別荘に滞在していたときのこと。
長雨の徒然をしのぐために、「みんなで奇譚を一つずつ書こう」とバイロンが提唱。
そういう経緯で、「フランケンシュタイン」が誕生したのです。
「吸血鬼ドラキュラ」も、その場で生まれたのだそうです。
「才能は、刺激し合う。」と中谷さん。「トキワ荘」のような情景ですね。
「怪物」の生みの親は、ヴィクター・フランケンシュタイン。
墓を暴き、神に背く行為であることを自覚しながら、怪物を作り上げました。
しかし、ヴィクターの胸中は、しだいに慙愧の念が満たされていきます。
さんざん思い悩んだ挙げ句、「怪物の伴侶」を作るのを拒否しました。
「『フランケンシュタイン』がSF小説のはじまり。
進歩に疑問を持ち、科学技術と倫理感との葛藤を描いている。
SF映画のテーマは、『進歩って、どうなの?』。」と中谷さん。
科学万能が叫ばれる時代、芸術はそれに疑問を呈する役割を果たしたのですね。
「怪物」はヴィクター・フランケンシュタインに捨てられました。
「怪物」が求めた「伴侶」も、機材ごと捨てられてしまいました。
「捨てる」ことで、科学の成果は「暴走」するものなのかもしれません。
これは、映画「新感線ファイナル・エクスプレス」にも通底します。
「鉄腕アトムにしても、作ったのはお茶の水博士じゃない。
天馬博士が捨てたアトムを、お茶の水博士が育てた。」と中谷さん。
科学者のおごりが「怪物」を生み出すのかもしれませんね。
デートで映画を観終えたあとは、微妙な空気が流れるものです。
一つの「価値観」を示されて、それにどう反応すればいいか、
相手との関係性も含めて、整理しなければならないからかもしれません。
「自分の好きな映画を、面白いと感じてくれたら、つきあえる。
僕にとってのそういう映画は、手塚治虫さんの『千夜一夜物語』。
映画は、価値観の周波数が狭い。」と中谷さん。
相手との相性を占ってくれる。映画は交際の試金石なのですね。
一介の商人だったアルディンが、大富豪シンドバッドとして、
バグダッドに凱旋し、一気に王に駆け上がります。
しかし急展開。シンドバッドは、ギロチンで処刑されることに――
その時、娘に投げかけた言葉が、中谷さんのお気に入り。
「人間煎じ詰めれば一人だ。自分の夢を自分で掴み取って、
どこまでもでっかく伸びる。世の中、そこから始まるんだ」
その絶体絶命のピンチから脱出したアルディンは、こう言いのけました。
「王様か、ちいせえ、ちいせえ。王様の次はなんだろうね」
手塚治虫作品は「余裕」というものを教えてくれますね。
**