「フランス映画の登場人物は、みんな大人。
フランス映画で、僕は『大人』を勉強した。」と中谷さん。
中谷さんが、映画「モンパルナスの灯」を観たのは二十歳のとき。
才能は注目されながらも、売れない画家のモジリアーニの苦悩と焦燥。
当時の中谷青年は、モジリアーニに自分を重ね合わせたといいます。
今回、私も初めて「モンパルナスの灯」を観ました。
すると、中谷さんがお話しになっていたシーンがありませんでした。
「『そんな場面なかった』という観方が、正解。」と中谷さん。
没入して、極度に感情移入することで、「ない」ものが見えてくる。
これが、中谷さんの「没頭」映画鑑賞法なのですね。
★こんな方にお奨めです♪
□フランス映画がよくわからない方。
□大人の行動を習得したい方。
□中谷さんの映画の観方を知りたい方。
同じ映画を2回以上観たことは、数えるほどしかありません。
「僕は、『モンパルナスの灯』を何回も、何回も観た。
だから、パリでは切手はカフェで売っていることを知ることができた。
映画は、100本観るより、同じ作品を100回観よう。」と中谷さん。
中谷さんにとって、「モンパルナスの灯」は思い出深い作品。
大学時代の恩師が字幕を担当したことがきっかけでハマったとか。
中谷さんの恋い焦がれた「大人の世界」が凝縮された映画です。
「主人公のモジリアーニが、恋人を殴るシーンがある。
『あー、これ、やっちゃだめー』と思った瞬間、リリー・パルマーは、
手を叩いて、『ブラボー!』と叫んだ。それどころか『アンコール!』。
さらに殴られて気絶していたのに、『寝ている間に出ていったでしょ』。
なんだ、この大人の女性って、二十歳の僕には衝撃だった。
大人は、才能を見抜く。大人の女の人とつきあわないとだめだね。」
「モンパルナスの灯」の魅力を語る中谷さん、とても楽しそうです。
「大人」は、リリー・パルマー扮する年上の恋人だけではありません。
ジャンヌが、課題のデッサンをそっちのけにして、
モジリアーニの横顔を描いているのを目にした美術学校の先生。
彼は怒ることもなく、その絵にアドバイス。さらには、
モジリアーニに近づき「彼女のお父さんは堅いよ」と囁く。
転地先のニースで、娼婦の裸婦画を描いていたら、ヒモが登場。
最初はゆすりに来たのに、絵を見た途端、こう叫びました。
「いい絵だ! 俺に売らせてもらっていいか」。
フランス映画で、かっこいい「大人」を勉強しましょう。
フランス映画の展開の速さには、しばしば面食らいます。
「フランス映画には、説明が少ない。日にちは一切出ない。
いきなり肩を組んで歩いている。いきなり朝を迎えて、寝顔を描いている。
説明が足りない。だから、いい。アメリカ映画は説明が過剰。
説明過剰な時代、フランス映画は、レベルの高いお寿司屋さん。
わかる人だけわかればいいのが、フランス映画。」と中谷さん。
「わかる」ためには、何回も何回も観る量稽古が必要ですね。
エコール・ド・パリの代表的画家・アメデオ・モディリアーニ。
イタリア出身のイケメンのモジリアーニは、女性にモテモテ。
でも、30代になっても売れず、酒びたりの日々。焦燥感は募るばかり。
「絵は、苦悩から生まれる。ものづくり人間の苦悩。
監督のジャック・ベッケルも、そこを表現したかったのではないか。」
月ナカ155でも、ピカソとマティスを引き合いにして、
芸術家たちの「苦悩」について語られました。
苦悩と焦燥――これが20歳の中谷さんの心をゆさぶったのですね。
中谷さんはよく「映画の話をしていて、実際に観た人から、
『中谷さん、そんなシーンありませんでしたよ』という声を聞くそうです。
さすがにそんなことはないでしょう――と思っていましたが、ありました。
中谷さんが語る「モンパルナスの灯」のエンディング、ありませんでした(笑)
「『そんな場面なかった』という観方が、正解。
「僕は見た。僕は聞いた。1シーンにどれだけ感情を込められるか。
20歳の悶々としていた時の自分は、モジリアーニだった。」と中谷さん。
感情移入が極度に高まると、「ない」ものが見えてくるのかもしれませんね。
「モンパルナスの灯」のエンディングは、衝撃的でした。
正直なところ、「え、どうして? どういうこと?」でした。
「『わからない』というのは、ストーリーで観ているから。
映画にオチはいらない。余韻を味わおう。」と中谷さん。
死にゆくモジリアーニ。ジャンヌへの最後の言葉は、
「生まれ変わっても、またモデルやってね」だったそうです。
ジャンヌはモジリアーニの亡くなった翌日、投身自殺…
なんとも、心におさまりのつかない展開ですが、これも物語。
二人は、人生を完全燃焼したということなのです。
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