○「子育ての大原則は、比較しないこと。」(中谷彰宏)
きょうだいというのは不思議なものですね。
ものの見事に、違うタイプに分かれることに驚かされます。
「比べることは、絶対だめ。プラスになることは、まったくない。
他人と比較していては、競争に勝てない。」と中谷さん。
競争に勝つとは、他人との比較的優位に立つことではありません。
自分の特性に磨きをかけて、かけがいのない存在になることです。
他人と比較していては、「弱み」しか見えてこないのですね。
○「天才に出会って、自分の道を発見しよう。」(中谷彰宏)
「進学校の生徒=鼻持ちならない人」という先入観があります。
でも、じっさいは、むしろ爽やかで謙虚な人が多いものです。
「進学校では、天才に出会える。そこで、自分の力量と限界を知る。
自分の限界を知ることで、逆に自分の『強み』を知ることができる。
早く負けを体験することで、自分の進むべき道が見つかる。」
「いい学校」に入る目的は、自分の「強み」を見つけるため。
自分の「限界」に早くぶつかった人が、成功するのですね。
○「意識とは考えること、感覚は感じること。」(中谷彰宏)
「感じる」よりも「考える」ほうが上位と考えがちです。
でも、中谷さんは、つぎのように指摘します。
「現代社会は、意識過多。意識は考えること、感覚は感じること。
世の中には、自分でハンドリングできるものと、できないものがある。
『意識』で解決するのは、ハンドリングできること。」
「思考」の限界を知り、「感覚」の可能性を見いだす。
これが人生後半戦に向けての方向づけなのかもしれませんね。
○「財産、地位、評判は、ハンドリングできない。」(中谷彰宏)
ハンドリング不可能なことは、3つあると中谷さん。
1.財産 増やそうと思っても、増えないのが財産。
2.地位 上げようと思っても、上がらないのが地位。
3.評判 あげようと思っても、あがらないのが評判。
一方、ハンドリング可能なことの代表例は「決断」。
決断だけは、他が介入することのできない聖域です。
私たちの決断は「感覚」のたまもの。
思考や判断では、決断することはできないのです。
○「ハンドリングできないことを、楽しもう。」(中谷彰宏)
財産、地位、評判とともにハンドリングできないこと、
それは煎じ詰めれば「運」といえるのかもしれません。
「運が悪い」と嘆いている人は「感覚」が磨かれていないのかも。
「雨の日は、雨音を楽しむ。夏は暑さを、冬は寒さを味わう。
いま、この瞬間を味わおう。」と中谷さん。
ハンドリングできないことに、不平不満を言わずに味わい尽くす。
この前向きな姿勢は、自分でハンドリングできることなのです。
○「美術館では、時計を見ないようにしよう。」(中谷彰宏)
何かと物議を醸す現代アート。中谷さんは、こうおっしゃいます。
「現代アートに、意味を求めてはだめ。面白がろう。」
芸術家は、そもそも「意味」をもって創作しているわけではありません。
「なんとなく」とか「いきがかりで」というケースも少なくありません。
芸術家が面白がって創ったものは、観る側も面白がって観る。
これが芸術に向き合うための基本姿勢なのかもしれません。
「美術館では、時計を見ないようにしよう。」と中谷さん。
美術館は、芸術家の「没頭」に共振する空間なのですね。
○「反復練習して、思考から離れよう。」(中谷彰宏)
いくら説明を受けても、泳ぐことや自転車に乗ることはできません。
「思考」の限界は、身体技芸を習得するとき際立ちます。
「反復練習すれば、『思考』から離れられる。
歌っているときは、思考できない。疲労しないために歌う。
思考することで、無駄な体力が奪われてしまう。」と中谷さん。
反復練習することと、音楽に身を委ねること。
思考から離れ、本来の力を発揮するためのコツはここにありました。
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