他人の自由を奪う人は、自分の自由も奪われてしまう。
自分がやったことが自分に返ってくる。これが世の摂理です。
私たちに求められるのは、自分の言動を監視する「外からの目」。
昔の人は「お天道さま」や「ご先祖様」という意識を通じて、
自分の行動を律し、これが庶民の心意気となっていました。
貴族にはプライベートはなく、ひたすら「公」に生きました。
つねに人の目にさらされているという緊張感と心地よさが、
彼らの行動を、美しいものにしていったのです。
そう、貴族の高貴さの源は「パブリック」精神だったのです。
貴族の高貴さをまとう方法、中谷さんから伺いました。
★こんな方にお奨めです♪
□迷信や縁起を信じる方。
□高貴さを身につけたい方。
□日本と世界の歴史を学びたい方。
源氏物語絵巻、信貴山縁起、伴大納言絵巻、鳥獣人物戯画。
これらをして、「四大絵巻物」と呼ばれるそうです。
「鎌倉時代に絵巻物が大ブームになった。
それは、新仏教対旧仏教という宗教改革があったから。
このせめぎあいが、多くの物語を必要とした。」と中谷さん。
一度みた「鳥獣戯画」。あらかじめ、この話を聴いていたら、
見え方がだいぶ変わっただろうなと悔やまれます。
歴史で紐解かれる中谷さんの芸術論、展覧会に行く前にぜひ。
4や13といった忌み嫌われる数字。北枕から血液型占い。
これらを迷信として一蹴するのは、ちょっと乱暴かもしれません。
「迷信とは、解明されていないサイエンス。
迷信には2通りある。これをするとバチが当たる。
もう一つは、これをすると御利益がある。
縁起のいい迷信を信じて、御利益を得よう。」と中谷さん。
パワーをもらえる迷信が、信仰というものなのかもしれませんね。
旧家には、ご先祖様の写真がずらりと飾られていることがあります。
こういうかたちで、ご先祖さまの存在が身近にあれば、
知らず知らずのうちに、その目を意識しているものです。
「貴族は哲学と信仰を持っている。大衆は流行。
信仰は見られているという気持ち。これが自分を律してくれる。
上流階級ほど、信心深い。だから道徳的。」と中谷さん。
自分を見つめる「目」を持つことが高貴さにつながるのですね。
ひと目を気にせずに行動できるのが、プライベートスペース。
他者の目に配慮して行動すべきなのが、パブリックスペース。
「パブリックスペースがこんにち、消えかけている。
世の中、怖いものがなくなってきたから、マナーが悪くなる。
パブリックスペースで、見えないルールを学ぼう。」と中谷さん。
銭湯、エレーベーター、タクシー、展覧会、スタジアム。
パブリックスペースは、マナー体得の学びの場なのですね。
自由気ままを放棄した人ほど、社会階層が上がる。以前、
そんな文章を読んだことがあります(何の本でしたっけ?)。
言い換えれば、社会階層が上がるほど、プライバシーがないということ。
「マリ・アントワネットにプライバシーはなかった。
貴族は、着替えから出産に至るまで、お付きの人が立ち会った。
プライバシーがない人たちの立ち居振る舞い。それがエチケットの源。
ご機嫌でいなければならないもエチケット。」と中谷さん。
社会階層の上昇か、それとも自由気ままか、あなたはどちらにしますか?
マナーというと、ちょっと堅苦しいものだというイメージがあります。
でも、それは誤解であると、中谷さんはおっしゃいます。
「大家族やいいところの子供は、マナーがいい。
それは、家がパブリックスペースだから。」と中谷さん。
パブリックスペースで成長した人は、マナーをわきまえています。
だから、世の中に出ても、自由闊達に行動することができます。
マナーが身についていなければ、キョロキョロオドオド。
マナーで自由になる。これが人間社会というものなのですね。
「許せない!」と、いとも簡単に怒りをあらわにする人がいます。
「他者の価値観を否定すると、自分が自由でいられない。
違う価値観の人がいる。その人に寛容になれなければ、
自分にも寛容になれない。結局、自分自身が不自由になる。」
自分にとって価値を感じられないもの、意味のわからないもの。
それを否定していては、学びの機会を失っているだけのこと。
「わけのわからないもの」に出会ったときこそ、食いつきましょう。
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