○「知らないことに出会うのが、大人のテスト。」(中谷彰宏)
テストには、子供のテストと大人のテストがあります。
子供のテストは、正解を出すため。知っていることで得点できます。
でも、大人のテストは逆。知らないことで「得点」となるのです。
「知らないことに出会うのが、大人のテスト。優等生にはわからない。
間違えた数だけ、得点になる。」と中谷さん。
子供意識が抜けない大人は、いまだに「正解」にこだわります。
「私は知っている」「私は行ったことがある」で張り合うのです。
知らないことに胸を張ることができるのが、本当の大人なのですね。
○「時間の経過のスピードではなく、時間密度。」(中谷彰宏)
年をとると、時間の経過が早く感じられるようになります。
1週間、1年もあっという間。私自身、実感あります。
それを嘆く人が大半でしょうが、時間の経過は「慣れ」で決まります。
毎日の生活がリズミカルだと、時間は早く経過するのです。
子供は毎日が初体験のものばかり。だから、1日が長く感じられます。
「時間が早く感じられるのは、悪いことじゃない。問題は密度。」
集中力と段取り力で、時間密度を高めることが第一なのですね。
○「『なにこれ!』という体験をしよう。」(中谷彰宏)
世の中には、3つの箱があると、中谷さんは指摘します。
1つめの箱の中身は「知っていること、わかっていること」。
2つめの箱には「知らないこと、わからないこと」。
3つめの箱には「その存在すら知らないこと」が入っていて、
それが全体の99.99%であるということです。
「勉強とは、第三の箱から第二の箱に上げること。
わからないことを、毎日増やしていこう。」と中谷さん。
わかっているという安心が、成長を止めてしまうのです。
○「才能のある人は、自由とつながっている。」(中谷彰宏)
芸能人や有名人の不倫がマスコミを賑わせています。
でもそれは、才能ある人の宿業なのかもしれません。
グロピウス、ウェルフェル、クリムト、ココシカ、そしてマーラー。
アルマの華麗で奔放な恋愛遍歴は、もはや不倫では片づけられません。
「才能のある人は、自由とつながっている。」と中谷さん。
才能あふれる人たちを、一般の道徳観で裁いてしまうと、
彼らの「芸術」を理解できなくなってしまうかもしれません。
善悪を説くより、彼らの「自由」を味わい尽くしましょう。
○「貴族と庶民には、哲学がある。大衆にはない。」(中谷彰宏)
一見よく似た「庶民」と「大衆」。でもその違いは、意外なところに。
「貴族と庶民には哲学がある。だけど、大衆にはない。
江戸っ子には、宵越しの銭は持たないという哲学がある。」
中谷さんによれば、哲学とは「問い」を発し続けること。
その点、哲学のない大衆は「問い」よりも「正解」を求めてしまう。
話題の店、インスタ映え、メガ盛り、三つ星――
流行や評判に飛びつき、冷めるとさっといなくなるのが大衆。
哲学がある人は、いっときの流行に左右されないのです。
○「リーダーの仕事は、みんなのお手本になること。」(中谷彰宏)
「哲学」と「流行」とは、まさに対極の概念。
哲学とは、より高次な真理を求めようという、永遠の探求だからです。
「リーダーを戦いで決めると、集団は弱くなって滅びる。
貴族がリーダーになるのは、彼らが哲学を持っているから。
哲学がマナーや作法になる。だから貴族は、お手本になる。」
自分の価値軸を確立して、流行にとらわれない行動をとれる。
それが「貴族」として生きるということなのですね。
○「素人は、わかりやすさに飛びつく。」(中谷彰宏)
「大衆はわかりやすさに飛びつく。だから大衆は不自由。
自分の哲学を持っていないから、自分の意志で動けない。」
さらに中谷さんは、さらにこう警告します。
「哲学を持たない大衆は、ときに『群衆』と化すことがある。
民主的にナチス政権を生み出したのも大衆。」と中谷さん。
わかりやすさに流されるのは、哲学的態度とは真逆です。
理解したつもりにならずに、問いを発し続けることなのですね。
○「『いいね』より『いいの?』を集めよう。」(中谷彰宏)
SNSでの評価や評判は「いいね」の数に依拠しています。
でも「いいね」の数に一喜一憂していては、貴族とはいえません。
「貴族や庶民は『いいね』を集めない。彼らが集めるのは『いいの?』。
『おやじ、そんなに手間かけて作っていいの?』
『そんな無茶をやってしまって、いいの?』。
『いいの?』は『いいね』より、遥かに上の、最高の賛辞。」
桁外れの仕事、大衆の想像を超越した価値軸。
目指すのは「いいね」ではなく「いいの?」なのですね。
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