月刊・中谷彰宏「月ナカ生活」

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別冊・中谷彰宏101「トラブルは、優しい神さまのテストだ。」――サムライの器になる生き方術

アクシデントを「トラブル」にしているのは、自分自身。
向き合い方ひとつで、「テスト」や「ゲーム」に変換できます。
「すべてのアクシデントは、神様のテスト。
どういう解答を書くかが問われている。」と中谷さん。
正答を書けば、合格。誤答なら、追試や留年。
ところで、神様はどんな合格基準を持っているのでしょうか?
それは「カッコよさ」、つまり「器の大きさ」です。
神様は、あなたにカッコいい人になってもらいたいと願って、
器の大きい人に成長してもらいたいと願って、テストを行います。
「神様のテスト」を通じて成長するのが、生きている意味。
器を大きくする方法、中谷さんから教わりました。

★こんな方にお奨めです♪

□トラブルを起こしやすい方。
□がんばっているのに、報われない方。
□何度も同じ失敗をしてしまう方。


ゲスト:久瑠あさ美さん(メンタルトレーナー)


ゲスト:奈良巧さん(編集者)
本編の一部を無料試聴いただけます。

【データ版】別ナカ101 価格:1,700円(税込)
※メールでデータをお送りします。
自動配信では
ありませんので、 配信に最長1日かかります。


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○「アクシデントに、善悪はない。」(中谷彰宏)
不慮の事故、想定外の事態は、すべて「神様のテスト」。
出題された問題に、善し悪しを言ってもはじまりません。
私たちは、神様から合格をもらうために必死に解けばいいのです。
神様は、そのテストで、あなたの力を伸ばそうとしてくれています。
その問題を通じて、到達度をチェックしようとしているのです。
解けないレベルの問題は出題しないのが、神様のやさしさです。
目の前に起こった不都合な状況は、すべて神様のテスト。
それを解いて成長するために、私たちは日々勉強するのです。

○「自分が困らないためには、困っている人を助けること。」(中谷彰宏)
旅館の予約が、なぜか通っていなかった……
そういうアクシデントは、たまにはあるものです。
これを「トラブル」にしてしまうかどうかは、あなた次第。
神様は、そこを診るために、こういうテストを出しているのです。
ここで「責任者を出せ」と解答欄に書いたら、不合格。
「系列の旅館を紹介してもらう」と書けば、大正解。
「自分が困らないためには、困っている人を助ければいい。」
中谷さんの解法の土台には「器の大きさ」があります。
器を大きくするために、私たちはマナーを磨いていくのですね。

○「『責任』は、自分に使う言葉。」(中谷彰宏)
「おれは客だ」と、お客根性丸出しの人は嫌われます。
こういう人は、すぐに「責任者を出せ」とすごんできます。
でも、中谷さんは言います。
「『責任』は、自分に使う言葉。他人に使う言葉じゃない。」
「お客」だからと、相手を裁こうとするのはマナー違反です。
「責任という時点で、法律の段階。感情を無視している。
こういう場面で、神様は、メンタル力のテストをしてくる。」
神様のテストは、突然やってきます。
突然のテストで、冷静に答を出せるかどうかが試されています。
そのために必要なのが、メンタル力の修練なのですね。

○「学力ではなく、器で問題を解こう。」(中谷彰宏)
入学試験は、学力で解きます。
学生時代に学んできたことが問われる場です。
一方、「神様のテスト」は、学力だけでは解くことができません。
そこで必要とされるのは、心の広さ、つまり「器」だからです。
責任論を出して、白黒つけるようなやり方ではなく、
全体が丸くおさまるような解決策を考える。
そんな「カッコよさ」がなければ、神様は合格させてくれません。
カッコいい答を、どんな状況でも出せるように勉強する。
本や映画、そして月ナカは、いわば過去問。
過去問をたくさん解いておけば、本試験は楽勝です。

○「カッコよさを追求するのが、サムライの生き方。」(中谷彰宏)
武士は食わねど高楊枝。
サムライの生き方は、「美」の追究に土台が置かれています。
武士道精神は、いまも私たちの精神のなかで脈々と息づいています。
歴史に詳しい友人の話では、
武士と百姓町人では、価値観がぜんぜん違ったそうです。
前者は「美」に生き、後者は「利」に生きていたといいます。
「利から美への意識変革」
――中谷さんのメッセージの核心はここにありそうです。
「美」に生きれば、自然と「利」もついてくる。
より高い世界を追求してゆけば、すべて解決するのですね。

○「勉強するかどうかで、上下の差がつく。」(中谷彰宏)
福沢諭吉の『学問のすゝめ』。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の冒頭は有名です。
私は「私たちはみな平等である」という意味だと思っていました。
ところが、それは大きな勘違い。
この冒頭の文章には「――といへり」と続いていたのです。
つまり、
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずとはいうが、
じっさいには上下の差は存在している。
その差をつくっているのが学問である」
――こういう内容なのでした。これには驚かされました。
人には上下がある。勉強すれば上になる。勉強せよ。
これが、福沢先生のメッセージだったのですね。

○「我慢しないで、妙味を見出そう。」(中谷彰宏)
「美」に生きるサムライはストイックです。
食えればいいと、地べたを這いずり回ったりしない。
家名を汚すようなことがあれば、死をもって責任をとる。
サムライという生き方は、我慢ばかりでつらいもの――
そんな印象を持ってしまいますが、中谷さんはこう言います。
「サムライは、我慢をしていない。
サムライは、別の美学で、我慢を転換してしまう。
我慢の中に、妙味を見出しているのがサムライ。」
妙味とは、「深い味わい」と言い替えてもいいでしょう。
自堕落に生きて、そこそこの味わいを得るのでは物足りない。
ストイックに生きることによって得られる「深い味わい」。
サムライだから到達できるのが、この「妙味」の世界なのです。


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月ナカ生活 コーディネーター・曽我清美